話を聞いてもらって話を聞いて

職場や学校では
傷つける人がどうしても存在する
これは仕方のないことのようだ

おとなしいと狙われるし
目立つと嫉妬されて狙われるし
どうしても傷つくことがある

なるべく距離をとって
ときどき傷つけられるけれど
税金のようなものだと思ってやり過ごそう

耐えられないときは
聞いてくれる人に話そう

どうしてそんなことになるのか
いろいろ考えるが
答えもなくて
ただそんな人がいて人の痛みに感受性がないようだと判断する

長い目で見れば
傷つける人は損をしていると思うのだが
一度の交渉でいえば有利な面もある

長期の利益に無感覚で
短期の利益に反応しているらしい

周囲の人を傷つけてそれは利益なのかといわれてしまうが
たぶんどうしようもないのだ

たとえば月に一度とげをさされて傷つくのかと思うと大変だけれど
年に12回だけだと思えば
なんとか我慢もできるかもしれない

個人の内面深く入り込めば
それなりの理由もあるのだと思う
しかしそこまではたいていは理解できない

ときどきとげがささるのも人間の世の中だ
夏目漱石も太宰治も書いている
どこかに逃げようと思ってもだめだ
どこまでも人間の社会である

わかり合える人たちと
話を聞いて話を聞いてもらって
何とか時間を過ごすしかないだろう。

他人にとげをさして
自分も損をする
いいことはないのにな

社会が変化しているのか
イギリスなどは階級社会なので
上流社会に入れば嫌な思いはしなくて済む
下層社会にいればやはりとげを刺されたりする
日本全体が下層社会化していることも一因かもしれない

長いつきあいをするには謙虚な態度が利益を生む
一度きりの交渉ならば傲慢な方が得なのかもしれない
よくわからない

儒教社会だと大人は謙虚な方が偉かった
いま商売で外国人と交渉する場合にはある程度傲慢気味の方が便利かもしれない
しかし日本語で日本人と話すときには
謙遜を思い出してもいいと思う

傲慢は単純に頭が悪いのだという説もある