レーモン・スボン「自然神学」

「ミシェル 城館の人」で紹介されている書物。
自然神学とは、自然と聖書、つまり、理性と啓示が
同一のことを表示すると説くもの。
モンテーニュは本書「自然神学」をフランス語に翻訳し、
さらに「レーモン・スボンの弁護」を書いている。

神は我々に二つの書を与えた。一つは自然(被造物)という書物であり、
もう一つは聖書である。
従って自然と宗教は両立し調和する。

堀田氏の解説は、
自然神学という考え方の中には、科学的思考の芽がある。
さらに、科学が宗教から分離されてゆく方向が示唆されている、とする。

現在で言えば、自然科学と宗教の関係の問題である。
堀田氏は「分離されてゆく」としているのであるが、
そこにはいろいろな考え方があり、
究極的には同じものであるとするものから、
まったく違うものとする考え方まで、揃っている。

常識的には、まったく違うものであり、
たとえば創造説とダーウィン説は一致しないのである。
しかしそこを「言いくるめる」方法は色々ある。

自然科学は神のない世界理解であり、
宗教は神を信じたうえでの世界理解であると、
一応言えるが、
自然科学はそんなものでもないだろう。
陰画のように神はへばり付いているのだ。
自然科学が人間の思考である限り、
自然科学の全体像の背後に神の像が透けて見えるのである。

神なしで世界をどこまで記述できるか、
それが現在の自然科学の目指している、
最終地点である。
そこまでやっとのことで辿り着いたとして、
やっと宗教と同格になるだけのものである。
神はないかもしれないと控えめに言うことができるだけである。
それにしても、
宇宙が存在しているこの空間は「どこ」にあり、
時間が発生する「舞台」は何なのか、
なぜ世界には粒子が存在し融合と分離を繰り返しているのか、
ビッグバンの前には何があったのか?
自然科学が語りうることはまだまだ少なすぎるのである。