幸せという物差しで人生を測る

確かに世の中には疑問もある
たとえばコンサルティング業という人たちがいて
社長さんなどの経営陣が考えるようなことを代わりに考えてあげて
お金をもらっているのだが
一般に現場で働いている人よりはとても沢山もらっている
そんな相談をしたからといって社長さんの給料が減るわけではない

現場労働者の筋肉がすべてを稼ぎ出しているのだと考えればとてもおかしい

しかしまた
仕事の成立を考えてみても
知恵のある人が工場を造って機械をそろえて原材料を買い付けて
販売経路も整えてコマーシャルもして給料の計算をしてくれる人もおいて
怪我をしたときの対策も考えて
そこまでしてやっと工場になって労働者は安定した給料をもらって有給も先々の年金ももらえることになる

そう考えると取り替えがきくのは労働力だということになる

資本も労働力も両方必要なのだけれど
どちらかといえば資本側に頭のいい人が多いので法律を知っていたり
議論で相手を負かしたりして
結局こんなような世界になっている

その部分では筋肉労働の得意に人には不本意な世界だろうけれど
でも資本側のお金持ちを見ていて特別幸せだとも思わない
24時間ストレスを抱えて
人にだまされる恐怖を抱えて生きるのもいい人生だとも思わない

身近な人たちと愛情を育てていく人生は労働者の側にむしろ可能だと思う
働いたお金がしみじみ大切に思える
そこから倫理も発生する

株で一瞬のうちに大儲けしたり大損したりしているのは
どう見ても人生にとっていいことではない
経営者で居続けるということはばくちを打ち続けていることといってもいい
トヨタの社長も交代した

交代したからといってホームレスになるわけではないけれど
精神的な打撃としては大きいものなので
どうせお金があるから安泰だとも言えないと思う

カップ麺が400円くらいかなといっている人は庶民の暮らしなど分からず
たぶん庶民の気楽さを嫉妬しているし
庶民は生まれついての大金持ちを嫉妬していると思うが
どちらも幸せという尺度で測ると大して違いはない

一日充実して働いて帰りに焼き鳥を食べながらほら話をするのが
やはり一番の幸せだと思う
そんなときには優しい心になって家族にお土産でも買って帰るのだ