Wikipediaの三大方針

Wikipediaの三大方針というものがあって

・独自研究は載せない
・中立的な観点
・検証可能性

という。

話をしてもつまらない知性とはたぶんそんな人だろうと思い、それは自分に似ていると思う。

独自研究は載せないは、情報源を明記すること。自分独自の判断を忍び込ませない。

中立的な観点は、何が正しいかの意見を書くのではなく、全ての観点を提示すること。自分の主張を書くのではなく、それぞれの立場の人が自分の立場の記述については満足できるような書き方をすること。世間にはこの問題についていろいろな考え方があって、その背景としてはこんなことがあって、などと説明する。

p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。

意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。つまり、「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実や、「トマス・アキナスは神が存在すると信じた」という事実を書けばいいわけです。

検証可能性は、「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」。信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。

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つまり、オリジナリティのない実況中継者を求めているということで、
これは私などの性分には合っている。

独自なことを思いついて主張する能力はない。
しかしいつ、誰が、どんなことを言って、その背景は何で、現在それを支持しているのはどんな人たちで、等々、そんなことをかなり客観的に記述するのはできると思う。

しかしそれを私は自分の欠点だと考えている。たぶん、誰からも引用されないし、引用されても出典は私ではないことになる。

最近の薬の使い方はこう、病気についての考え方はこう、こんな意見の背景はこれ、そちらの文章を書かせたのはこの人たち、そんな説明はできるけれど、別に自分が強い信念を持って何かを推進しているわけではない。人々はこんな風に思っていますよ、根拠はこれ、と言えるだけ。