スポーツマンシップ

オリンピックにおけるスポーツマンシップとはなんだろうかと考える
国家単位でのメダル数はなんだろう

オリンピック参加のために
国家代表が決まり、地域ごとに予選をして、各地域の代表が本大会に出る。

あるいは参加標準記録があって、その記録を上回っている人に参加権が与えられる。

結果として、やはりアメリカが強かった。

なぜかって、分業してオリンピックビジネスをしているからだ。

戦争から金融工学からオリンピックまで、専門バカを育成して、
新自由主義で金を取り合っている、メダルを増やしたいのならまことに良いお手本である。

*****
ゴルフではハンディをつけて、実力差があっても、本気でぎりぎりの勝負をするようになっている。
それを考えると、各国の予選の段階で、ハンディレースをしたらいいと思う。
将棋だって、飛車落ちで勝負したりする。
それがスポーツマンシップではないだろうか。

世界記録を出したいのなら、コンディションの良い時に挑めばいいのだと思う。
4年に一回のオリンピックに体調のピークを持ってくることはすばらしい技術だ。
しかしオリンピック以外の日にも、とても体調のいい日というのがあるはずで、
その日にこそ新記録は出るはずだと思う。

大会の異様な緊張の中で金メダルの栄誉をかけるから力が出るのだとの意見もあるだろうが、
アスリートなら分かるはずで、
それ以外に、妙に体調のいい日があるものなのである。

*****
ハンディレースがうまく行けば、
メダルの行方は、世界各国に均等に分散するはずである。
固まってしまうなら、ハンディの設定が悪い。
とんでもない国の人がとんでもないハンディをもらって、
アメリカの選手と0.01秒単位の勝負をする。
これもひとつのスポーツマンシップだと思う。

だれが一番かなんて一回だけでわかるものではないのも当たり前である。

ハンディレースは、思想的には反リバタリアンであり、
今こそ意味があると思う。

アメリカのメダル数が多いのはまさに格差社会の反映である。
コーチがいて練習場があって、
練習の時間が取れれば、他国の人たちよりは有利になるだろう。

また、ルールは何といってもアメリカ式になるのではないかと想像する。

*****
もっと空想的な事を言えば、
オリンピックのメダルの数が均等になるように、
国境を引き直せば良いのだ。
まったく政治と関係のないという建前のものなのだから、それをもとにして、
国境を引きなおす。
アメリカと中国はたくさんの小国に分かれる。
アフリカや南米などは比較的大きな単位の国にまとまる。
アフリカや南米が中国並みの大国として振舞えば、
だいぶ世界も変わる。貧困も問題になる。
そしてオリンピックでメダルを取ったあとには、
小国に分割される。

つまり貧困の撲滅、乳幼児の死亡率減少などのように
強い政治力が要請される時に強い政治力を与え、
それが過ぎたら、政治力を抑制していく、
そんな仕組みが出来れば、おもしろいだろう。

もちろん現状では無理というものだけれど。