新国立美術館にてピカソ展-4

ラファエロなどで絵画としては完成していて
そのあとはどうすればいいのかと
多分悩んだと思う

同じ事をやっていても多分超えられない

同じ事情はたとえば
ニュートンとそれ以後と似ている

ニュートンの答えは完璧だったし
科学はかくあるべしという模範解答だった

同じ事をしていても
ニュートンは超えられない

そこで周辺部分への拡張を考えることになる
宇宙の端っこではどうなっているかとか
光速ではどのように振る舞うかとか
原子の内部ではどのように振る舞うのかとか

そんなことが分かっても分からなくても
ニュートンの結論は変わらない

しかし科学はそういった、人間のサイズとは違った、極端な世界の探求に向かった
たしかに成果は得られて
ニュートンの世界観は拡張された

しかし
それはあくまでも拡張的理解である
世界を記述する場合に、
いちいち量子力学を持ち出して行き詰まりを感じる必要はなく
人間サイズのことならばニュートンの世界観で充分だ
またいちいち宇宙の方程式を出して
まだ結論が出ていないんだれけどもか
直感では理解しにくいが四次元時空の歪みがあってとか
そんなことは考えなくてもニュートンの世界観で正しくこの人生を生きることができるのである

そのような関係はラファエロとピカソにもある
子どもが絵を見て
こんな絵を描きたいとか
教会で見て感動したと思うのはやはりラファエロでありミケランジェロである
教会で合唱して美しいと思うのは
バッハとかベートーベンであって
現代音楽の可能性を追求した意欲的な作品も
子どもは寝てしまうだけだろう

デートの時に武満徹を聞きに行こうというのは
少し考えものだろうとおもう

多くの人に受けるなら
東山魁夷でいいし平山郁夫でいい

長く残したいならラファエロでいい

しかしピカソは自信過剰だったので
ラファエロの拡張を目指した
確かに拡張はできた
すばらしいものだ

しかし子どもに向かってこれが美のモデルだとは言えないし
家に飾るならモネの睡蓮の方が好きだし
子どもが何か書きたいというなら
モネみたいなのはどうかといいそうだ

幸い子どもはいないのでそんな場面を想定して悩む必要もないのであるが
とにかくピカソはアインシュタインとかシュレディンガーとかと似ていて
自然の直感に訴えてすばらしいと納得させる種類のものではなかった

長い伝統がある芸術とか学問の分野ではそのようにならざるを得ない

だから最近のアニメ映画とかCG技術とかが
直感的にも感動に近いものを作り出していて、
伝統的な楽器で音楽を作るということになれば、
次々にすばらしいピアノソナタが作曲されているというわけではない
できているのはピカソ的なピアノソナタである

そのことを考えてもやはりピカソは偉いということになる