「親孝行プレイ」みうらじゅん著

第1章 親孝行宣言―親孝行家になるために
第2章 親孝行プレイ1―親孝行旅行
第3章 親孝行プレイ2―帰省のテクニック
第4章 親孝行プレイ3―妻活用法
第5章 親孝行プレイ4―孫活用法
第6章 親孝行プレイ5―父親にも花束を
第7章 親孝行プレイ6―親孝行寿司
第8章 親孝行プレイ7―友活用法
第9章 母親はいつまでも恋人―私はいかにして親孝行家となったのか

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待ち時間の間につるつると読んだ。

お金を払って笑いに来ている人を笑わせるのは、
親を笑わせるより簡単だと控えめに語る一節もあり、
なるほどと思う。

この人は真剣に相手にサービスする人なのだ。

自分の興味で言うと、
他人に気を遣うとはどういうことか、
その一面がよく分かる気がする。

たとえば、すし屋に入ったとする。
いきなり、うにで始める。
すると、相手はびっくりして、
いきなりうにですか、みたいにして、話が弾む。
だからうにを注文するというのだ。
あるいはいきなり卵焼きから始めて、
話題を作るという作戦もある。
気を遣うって、こういうことかと思う。

タクシーに乗ったとき、天気の話から始めて、プロ野球の話に行くのが常道であるが、
その次の作戦を用意していないといけない。
話が途切れて気まずくなったら、負けである。
わたしならスポーツ新聞の見出しを思い浮かべるが、
みうらさんはもっと髙等である。

親というものは、子供のほら話をいくらでも聞きたいのだと語る。
そこで多少の脚色をして、最近の仕事などを話してあげるのだという。
いい話だ。
これも、親の気持ちを先取りして、演じてあげる、
プレイしてあげる、という気高い行為である。
親をいい気持ちにして何の罪があるだろう。

妻については、プレイの片棒を担いでくれるように、
バイト料を払うという。
妻にも細かく気を遣う。

妻の実家に行ったら、
そこでも思いっきり、親孝行プレイをする。
妻をほめて、義理の両親をいい気持ちにさせる。
片棒を担ぐ。

自分の両親と旅行したときには、
両親の部屋と夫婦の部屋を別々に取り、
妻にはちょっと用を足してくるとだけ言い、
両親の部屋に行き、ついウトウトしてしまい、
母親に毛布をかけてもらう、
そして、「おっと居眠りしちっゃた」という具合で、帰る。
すると、母親はとても満足する。
ここまで徹底してプレイする。

孫を適切に配置し、友人を適切に使う。

親孝行プレイというので、限られた場面のような印象を受けるかもしれないが、
要するに、もっと広く、対他配慮の問題で、
ここまで他人に気を遣うことができるという見本である。

他人が気まずく思ったら、プレイは負けである。

母親にとって息子は特別である。
夫は所詮他人である。
孫は他人の遺伝子が混ざっている。
嫁は最初から何でもない。

息子にとって、
初めての女性は母親であるという。
初めてキスした、
初めて抱き合った、
初めて性器を洗ってくれた、
初めて乳房を触った、
全部母親であるという。

精神医学的にも意義深いものと思う。