クムジャさんにおける目的合理性と方法合理性

クムジャさんにおける目的には合理性がない。
方法は非常に合理的で緻密だということになっている。

方法の場面でこのくらい合理的に対処できる人は、
多分、目的についても合理的な考え方ができる人だと思う。
結局、復讐殺人は割に合わないということで、
やめるだろう。

あるいは、警察と綿密に協議するだろう。
多分、描くとれば、クムジャさんが警察に真剣に頼んでいるのに、
警察に裏切られた場面を挿入するだろう。私なら。

目的に合理性がない人は、
方法にも合理性がなくなる人が多い。
その場合には、何を思っていたとしても、
途中で現実に押しつぶされるから、合理性のない目的を完遂することは困難である。

目的はおかしいのに、方法はしっかりしている人が一番困る。
たとえば、小説を書く人はそんな人だろう。
根本の前提はおかしい、ありえない、しかしそれでも、
それ以外の細部はぴったり合理的である。
そんなふうにして大嘘が書ける。

刑法は一般に、私憤の心があることを前提に、
しかし刑法にてらして考えれば、割に合わないと考えて、
思いとどまることを期待しているだろう。
抑止論である。
しかし、クムジャさんの場合には刑法が抑止力になっていない。
こんな例は仕方がない。
刑法としては、このような人をも思いとどまらせるような仕組みを作らないといけない。

刑法で、懲役何年と定めている場合、
その間の人生の中断が勿体ないと思うから、
犯罪を中止する。
しかし、刑務所が恋しい人もいる。
また、刑務所に入ることで現実に利益があるような集団もある。
身代わりに服役すれば、昇進するなど。