バックアップとしての印刷

磁気的記録の信頼性の欠如を思う時、
やはり文字を活字にして印刷しておきたいと思う。
最近はブログを丸ごと写真も含めて、
製本してくれるのだという。
いい時代になったものだ。
是非二冊は製本して、一冊は国会図書館に納めたいものだ。

出版社の編集者とやりとりをして、
多くを学ぶ人もいれば、
自分は出版の世界には向かないと早々に結論する人もいるだろうと思う。
若い著者ほど編集者に説教されるので、いやになる。

そんないやな関門は通り越して、二冊だけ全く自由に印刷できるのだから、いい時代である。

例えば文化勲章を辞退した人たちがいる。
博士号は教授権力の源泉だと見破って、拒否した人たちがいる。
自分の学問は世俗的な教授陣には評価できないだろうと見極めた人たちがいた。

いまから以降ならば、そのような人たちが、
後世の理解者を期待して、細い一本の道として、本を残すことができる。
後世の評価を待つことができる。
それは高貴な精神である。
自分と後世の理解者の精神、それだけを信じている。

例えば、ソニー会長も、東京大学名誉教授も無視、「文壇」や出版界の動向も無視。家族の理解も要らない。
頭の悪い人に崇拝されることも必要としない。
そんな、淡々と、すっきりした気持ちになれる時代になった。
経済のために身を売る必要なく、
評判のために心を売る必要がない。
その場合に、美しい花が咲くか、
あるいは、もうすでに咲く必要さえなくなってしまうのか、
見極めたいものだ。
これから活躍する若者たちをまぶしい思いで見守りたい。

個人的には、少しのお金を支払って、
個人文集を作り、
個人写真集を作りたいものだ。
その時には、磁気的記録は失われてもいい。

(注意)なかには出版に関係して暴利をむさぼる業者がいますので注意しましょう。新×社とか、そんな感じの会社です。

手口1。まず、おだてます。素晴らしい内容。是非出版しましょう。著者は勿論そのつもりだから、100パーセントおだてに乗る。

手口2。もっといい本にするためには、お金。ちょっとのお金でこんなに差が出る、といくらまでお金に余裕があるのかを探ってくる。この時点でも著者は冷静な判断ができないので、担当者の言いなりになる。デザイン料だと称して、無形のもので金を巻き上げる。

手口3。何とか出版にこぎ着けたのはいいけれど、増刷を勧められてまたお金がかかる。「全社を挙げて広告します」なんて、言う方からすればただの挨拶だけれど、著者としては、非常にくすぐられるセリフである。勿論、たいした広告はできない。

手口4。結局、売れなくて、裁断処分になるくらいなら、著者であるあなたが買い取った方がいいですよね、著者割引もあることだし、などと言って、自分のお金で印刷した本を、自分で買う。?これはおかしいな。まあでも、そんな感じらしい。

手口5。本の内容に関係のある人に買い取らせる。わたしはこれだった。本の内容に私が関係していたのだった。

大変によくないビジネスモデルです。社史とか、そんなものに限定して商売をして頂きたい。あるいはそんなことに有り金をはたいてしまったあとの人生の面倒を見て欲しい。