アンコールワット遺跡を補助金で支えることについて

アンコールワット遺跡を補助金を出して、
さらに人的援助もして、保存していこうとの話をテレビで見た。

当然、そのお金があるなら、死んでゆく子供たちを救えるのではないかとの話になり、
しかしそれはユニセフとユネスコの役割分担で、どちらも大切だとかなんとか言うのだろう。


でも、子供が死ぬのも、アンコールワット遺跡が保存されないかもしれないのも、
つまりは、貧困からである。
貧困からの脱却の道筋をつけないで、遺跡の保存だけは金を出すというのでは、
話がおかしいのだ。

そしてアンコールワット遺跡の場合でも思うのだが、根本的に、貧困から脱却させようと思えば、産業構造を改編しなくてはならないし、そうなれば、政治も文化も変わる。
簡単に言えば、伝統的カンボジア語が廃れ、英語とまぜこぜのおかしなものになるだろう。
一種のグローバリゼーションである。
その時点で、カンボジアの言語と文化は大きく失われる。それはアンコールワット遺跡よりも大切なものかもしれない。
しかし過去から現在に至るカンボジア文化には、
アンコールワット遺跡を守るだけの力がない。

そして、結論は、貧困はそのまま、遺跡は守る、言語と文化については消極的無策、子供の死亡率に関しては関心を示す、といった結果になる。
貧困を治療すれば、遺跡保存も自動救助も出来るが、言語と文化は損なわれる。

上海みたいに、排気ガスを出し、有毒排水を流し、それがいいことなのか。
まあ、さんざんやってきた日本人に言われても、困るだろうが。

それよりも、アンコールワット自体を売却しようという話は出ないのだろうか?
民営化の発想である。