日弁連も増員抑制に転換

7月10日朝日夕刊によれば、
日弁連も弁護士増加に反対、
3千人計画は否定とのことだ。

1.司法修習生の質の低下を指摘している。

しかしそんなものは疑わしい。
司法修習制度が歪んでいる可能性がある。
法の解釈や運用というものは、
本来市民一人一人が主体的にできるような体系になっているのが望ましく、
法律専門家がいなければ手続きも法的思考も出来ないというのでは、
まったく間違ったことではないか。
法律は市民の常識を条文にしただけのものであるべきで、
無知な市民を泣かせるためにあるのではない。
普通の人が弁護士になって普通の市民の手助けをするという路線でいいはずなのだ。
そのときに必要なのは普通の市民の感覚であり、
コモン・センスである。
常識を外れた人が多すぎるのは、
定員が多いからではない。
きつい言葉で言えば、常識の通じる仲間が増えたら困る法曹関係者がたくさんいるのではないか。

2.合格者増加に伴い、就職難が起こり、すでに法曹となっている人たちの仕事が減るとの危機感がある。
それに対しては、腕を磨くことで対処すべきなのではないか。
定員を減らして質のいい人材が確保できるというのは間違いだろう。
法曹としての質が良いことと、現在の試験で高得点が取れることとは、一致しないことだと思う。
現状でも、質のいい法曹には相談が集中している。
自然淘汰を回避するために定員を少なくするというのでは、
一体誰のための法曹なのか、疑わしい。

3.大きな流れ
大きな流れとしては、役所が最初から規制をたくさん作って、コントロールすることはやめて、
民間で、問題が起きたごとに法的に対処して、慣習法を積み重ねる方式がよく、
そのために、役所の許認可権を減らして、
法曹人口を増やそうという流れだったと思う。
だから、役所に行こうと思っていた人に、法曹に行ってもらえばいいだけの話で、
特に問題はないと思う。
行政改革とも関連することで、
役人にしておかにないで、法曹にするという方針は間違っていないと思う。

4.変な試験ができる人よりも、
常識と人情の分かる人。
これが一市民の願いである。

5.弁護士が増えすぎて困ることは、やたらに法的な手続きに持ち込んでお金がかかることである。

それは確かに問題で、どの人もそのうち訴訟に巻き込まれたときの保険に加入するようになる。健康な歯も削る歯医者と言われるように、話し合いですむところをわざわざ訴訟にして、しかも額面を高く設定して手数料を稼ごうとするようになる。
健康な社会はむしろ、弁護士と顧問契約を結んで、訴訟にならないように予防するはずだろう。予防が完全になれば訴訟はなくなるはずのもので、そうして理想社会になれば、一つの会社に一人くらいの弁護士がいればいいので、一人で何社担当できるか分からないが、そんなに多くの人数は必要ない。実務は事務に任せればいいのだから。

一方で医者は増やして、僻地と産婦人科に行ってもらおうと言うのだから、矛盾している。
弁護士を増やさずに、価額の大きくない事件に当たる人、国選にあたる人、僻地を担当する人を確保できるのだろうか。

弁護士は訴訟を作りだし、医者は病気を作り出し、歯医者は虫歯を作りだし、
これは当たらないと思うが、犯罪の抑止権力が、ノルマを課された結果、犯罪を作り出している社会も、
地上のどこかの社会で存在したかもしれない。
裁判官は先輩弁護士のために医療訴訟で勝たせ、自分が弁護士になってからは、後輩に半径を書かせて、勝たせてもらう、そんな社会も、地上に一時期は存在したかもしれない。
需要を作り出す人びとである。
良心に従いまともに仕事をしていれば、まともな生活ができる基盤を作ること、それが良い社会の設計である。