希少資源配分

世界にある希少資源を分配するとき、
かつて、国ごとの貧富の差があり、
各国の内部では、貧富があっても許容される範囲を心得ていた。

それならば国民として連帯できたのである。

いま、日本国の中で、貧富の分裂が起きていて、それはあからさまで、
充分に貧しいものの感情を傷つける。

同じことは中国でもアメリカでも存在し、
もはや一国で連帯することに意味はなく、
日本、中国、アメリカの貧しい者たちが連帯する理由がある。
同時に、日本、中国、アメリカの豊かな人たちが連帯する理由がある。
これがグローバル化の現実である。

当然のことだが、貧しい人たちが国を超えて連帯することは難しい。
言葉の壁があり、貧しい人ほど、自国と自民族を理由もなく理想化している。

当然のことだが、日本、中国、アメリカの金持ちはすでに充分に連帯している。
ときに反目しつつ、結局のところ共存を図っている。
真の敵は貧しい階層である。
インターナショナルな支配層グループを形成している。

それも当然のことだ。
それぞれが貧者から税金を取って、
それを持ち寄って、遊べばいいのだ。

希少資源を日本と中国で取り合うのではなく、
日本の金持ち+中国の金持ち と 日本の貧乏人+中国の貧乏人 とが争う。
資本主義的に言えば金持ちの勝ち、民主主義的に言えば貧乏人の勝ち。
資本主義と民主主義の混合体の場合、どうなるのか分からない。
テレビ局と広告代理店をおさえたほうが勝つので、金持ちが勝ちそうである。

とにかく何か理由をつけて、
中国の貧しい人たちに貧しいままでいてもらわないと、
エネルギーが続かないし、食糧も続かない。無理。