彼女はTissotのモデル、美神、愛人。

Tissotはモデルを描き、彼女は彼の美神となり、愛人となった。
そして彼女はそれにふさわしい。

画面から溢れ出て放射するものを、
この国ではなんと名付けるものだろう。

布を見事に描ききったことは成功の第一因である。
ソファとクッションの布の皺の具合まで圧倒的に支配している。
そして散りまぶされる黄色という暗号。

次に布に透けて見える女の肌。
これが成功の第二因である。

すべては愛人との時間のためであり、
絵を仕上げることも仕事でありながら愛の営みなのだ。
画家の幸福はここにきわまる。

でも、マラソン監督がいて、マラソン女子選手がいて、
「監督のために走りました。監督に褒められたいです。」
そんなケースとはかなり違う。

エロスに違いはないけれど、
絵の中では、
女は男性の従属物ではない。
女は男性を崇拝していない。
むしろ女が崇拝されているのだ。

そこがマラソン師弟と異なるところだ。
彼女は美神であり、地上に降りた美とエロスのイデアなのである。