それぞれの立場から見た人生は

それぞれの立場から見た人生は
それぞれに特殊なもので

そういう表現をすると
特殊であるということで共通になり
不思議な抽象化ができることになる

一般化できないと表現することで
じつは一般化できている

特殊だという点で
普遍的だというややこしいことになる

集合の階層の問題というのかな

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それはいいとして、
それぞれの立場から見た風景なり情感なりは
やはり別々の物を含んでいて、
これはどうしようもなく別のもので、
お互いに敬意を払うべきものだと思う。
自分が自分の人生を大切と思い、
自分の感じ方を大切と思っているのと同じ程度に、
他人の他人なりの感じ方を大切にしてくださいということになる。

単純な立場の転換である。

例えていえば、
自分が被告席にいるのか、
検事席にいるのか、
裁判官席にいるのか、
その違いの感覚だと思う。

自分だけが
検事席にいたり
裁判官席にいて、
他人は全部被告席にいると感覚しているのであれば、
やはり少し考え直した方がいいのではないか。

一般の人である限り、
私も、あなたも、被告席にいて、
それぞれ自分が大切であり、
その痛切さで、他人の立場も思うことができるというようでありたい。

理性の範囲内にいる限り、
そのような制限の範囲内で考えるべきだ。

これが宗教的啓示の世界になれば、
もう自分だけは特殊で、神の使いなのだと、
大真面目に特殊化してほしい。
それでいい。

そうでないのなら、
それぞれの立場を可変的に相対的に考えるのがいいと思う。

あの人の立場から見れば、
やはりそのように見えるのだろうと
立ち止まって感じてみよう。