綾鼓(あやのつづみ)

筑前の国木の丸御殿の庭掃きの老人が、女御の御姿を見て恋慕の情に悩んでいました。この老人に、廷臣が女御の言葉を伝えます。それは、池辺の桂木に掛けた鼓を打って、その音が御殿まで聞こえたら今一度会ってやろうと云うのです。
老人はその鼓を見つめ、打って音が出るならば、そのときこそ恋心の乱れを静めることができるのだと、唯一筋に心をこめて鼓を打ってみますが一向に鳴りません。元より鼓は綾を張ったものなので鳴り響かないのは当然でした。なぶられたと知った老人は、いたく嘆き悲しんだ末、池に身を投げて恨み死にます。
まもなく、女御の様子がおかしくなると、老人の怨霊が髪を振り乱し、すさまじい形相で現れ、今度は逆に女御に綾の鼓を打ちたまえと責めさいなみます。そのために女御は物狂わしくなられ、そして、亡霊は無限の恨みを残したまま、再び池の中に消え失せたのでした。(「宝生の能」平成10年8.9月号より)

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綾鼓(あやのつづみ)の話はつらい。しかしこういうお話があってもいい。

綾(あや)は、ななめに交差する織物のあり方の総称。また、これにより単染色の紋織物をさす、ということらしい。
鼓は本来、皮が張られているものだが、その代わりに布きれが張られていたということだろう。

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老人の察しの悪さ、常識の欠如が根本なのだけれど、
そして女御の側も困った対応だけれど、
老人の秘めた恋に納める工夫が大人の知恵だと思う。
美しい人はそれくらいの知恵を持つ必要がある。
この場合はあからさまだけれど、なぶられたという感じを与えないで切り抜けなければならないのだろう。
人の世は迷路。