最大多数の最大幸福 と 不幸の最小化

最大多数の最大幸福 と 不幸の最小化 とは
どういう関係にあるのか
まず1対1を考察し、その後に、全地球規模の集団について考察しなさい。

という問題があったとして、
1対1についてはゲームの理論とか囚人ジレンマを取り上げるはず。

すると、次のような記事。

二人は盗難の罪で留置された。
主たる罪状の決定的証拠をつかめないまま当局は二人を、軽い罪で3年の刑とすることにしたのだが、さらに囚人たちに対して悪魔的な取り引きを持ち掛けた。
「もし相棒の罪を証言すれば、相棒は5年の刑とするかわりに、お前は無罪放免にしてやる」
いい話ではないか。が、世の中そんなに甘くはない。
「ただし、もし二人とも証言した場合には二人そろって4年の刑に処する」
損得勘定を表にしてみる

私\相棒 沈黙(協調) 証言(裏切)
沈黙(協調) (私:3年、相:3年) (私:5年、相:0年(無罪))
証言(裏切) (私:0年(無罪)、相:5年) (私:4年、相:4年)

二人は別々に独房に入れられていて相談することは許されない。

「私が証言して、相棒が沈黙したとすると私は5年間牢屋にはいるかわりに相棒は無罪放免される」
「相棒が証言したらどうだろう。もし私が黙っていると5年の刑、これはひどい。私も証言すれば4年ですむ」
ということは、相手の行動にかかわらず、自分は証言したほうが(裏切ったほうが)いいいうことになる。
 さて、同じ条件を与えられている相棒もきっと同じことを考えるだろう。その結果は上の図の右下「4年の刑」である。
 そうほうじっと黙っていれば3年で済んだものが頭をひねったあげくに4年になってしまったのはどうしてだろう?
 上の図にしたがって正しく行動したはずなのに。
 それでは、やはり沈黙していたほうがよいのか?
 相手もそうしてくれればよいが、もし相棒が裏切って証言すれば、自分は最悪の5年の刑である。そんなことできるのか?事前に相談できるきるのであれは「おたがいに黙っていような」と取り決めておいてふたりとも3年ですませることもできるのだが。(まあ、相談したあげくの裏切りというのもあるが)

と、こんな具合に「あらゆる条件において最良の結果になる」ように行動したはずなのに結果はどうもうまくない、というところが「ジレンマ」というゆえんである。

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というような話で、
ここでは
最大多数の最大幸福 と 不幸の最小化 とは
一致していて、どちらも沈黙=ふたりの協調が正解であるが、
現実には最大多数の最大幸福 も 不幸の最小化 も実現されない。

規模を拡大して考えても、
やはり他人の裏をかく人間がいる限り、
最大多数の最大幸福 も 不幸の最小化 も実現されないという結論だ。

裏をかかない人間ばかりになったとしたら、
社会はずいぶん変わるだろう。
人間に心がある限りそうはならないはずと思うが。

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現実の政策としては、
強者(大企業、勝ち組)の最大幸福か、
弱者(中小企業、負け組)の最小不幸かと、
問題を立て替えて、
考えれば良いのだろう。

モデルとしては、
まず勝ち組がどんどん勝って、周囲を徐々に幸せにするモデル、
たとえば、ロシアの富豪が銀座で豪遊し、銀座のママが南千住の商店街で買い物ををし、……と順番に潤ってゆく。
もうひとつは、負け組みにチャンスをもっと与え、平均を上げるモデルがあるのだろう。インドネシアの人たちを日本の介護人材として大量に雇用する。

よくある正規分布を考えて、
横軸が幸せ度数であるとして、xとすれば、
縦軸はその数で、F(x)とする
全体幸福はxF(x)の積分で、
これはどこかで見た公式だと思う。

しかし全体幸福が本当にxF(x)の積分とは考えてはくれないだろう。
それが問題だ。

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もっと単純化すれば、格差はどの程度でいいのか、平均はどの程度でいいのか、
そのあたりの合意形成である。
つまり釣鐘分布の平均はどこに、ばらつきはどの程度にして、どういうかたちの釣鐘型にするか。
あくまでも平等が安心できていいのか、
ある程度のばらつきは自然で活力になるのか。
平等といっても、機会の平等なのか、結果の平等なのか、
大学の教科書の一ページ目に戻ってしまう。
昔、社会主義的平等と、資本主義的活力との論争があったと思う。
社会主義的平等の世界では、仕事をしないで定額賃金をもらうようになり、
資本主義的活力の世界では、裏をかく競争を仕掛けて、相手よりも儲けようとする。

現在、社会主義はソ連型で消滅し、中国型でやはり赤い資本主義になり、キューバはなんだか例外のようである。社会主義は負けた。
一方日本は、やる気のない若者が蔓延し、人びとのやる気を引き出せないでいる。インセンティブに反応しなくなっているのだ。資本主義が負けた。

だから、最小不幸社会は、メッセージとして古いし、弱いと思う。

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これからの強い思想は、アメリカよりも中国よりも強力に、グローバルスタンダードを構築し布教することしかないと思う。
また競争かといわれそうだが、競争をやめようといっても、誰かが勝つのである。
結局は勝たなければならない。
全勝した後で、競争はやめようと提案するのもいいかもしれない。
そしてまた競争が始まったらまた全勝してみせる。
そんなことが出来ればいいが、
人間は、勝っているうちは、戦うことがすきなのだ。

競争をやめようといったものが尊敬されて勝つ社会ではない。
競争をやめようというからには、女にもててはいけないのだ。