BPD 今後の課題

広瀬先生の言葉

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BPDと気分障害をめぐる今後の課題と期待
 
―今後の検討が期待される課題をお聞かせください。
 
  三つの点を挙げたいと思います。
  PDの概念は精神分析の中から生まれ、DSMによってわかりやすく記述されました。これは意義があることですが、BPDが性格によるものなのか、疾患であるのかという点は、いまだ判然としません。ここが明らかにされればよいと思います。
  また、「見捨てられ不安」「慢性的な空虚感」はBPDの中心的な症状ですが、一方、精神分析では母親との一体感、愛着が失われたときにうつになると説明されていて、それゆえに、うつ病では見捨てられるのを恐れてしがみつきが顕著になるといわれます(clinging depression)。このような点からも、BPDと気分障害であるうつ病の精神病理にはなんらかの接点があると感じています。今後の研究によっては、精神病理学的にBPDといわれていたものとBP IIは、相当な範囲で融合する可能性もあると思います。
  三点目は、BPDがなぜ若い女性でよくみられるのかということです。これの解明は容易ではないと思いますが、摂食障害が女性に特異的にみられることを考えますと、BPDも女性の精神病理と深くかかわっているのではないかと思います。

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「見捨てられ不安」「慢性的な空虚感」clinging depression

このあたりをさっきシャワーを浴びながら考えた。

メールやブログでは、
文体を幼稚化して行けば、
何も内容がなくても、
相当な分量を書くことができる。
意味のない写真を載せてもいいし、
絵を載せてもいい。
しかし、結局何を伝えたいのかと問えば、
何もないんだ、でも、あなたと一緒にいたいだけなの、
という場合がある。

対人関係でも、
このような例はよくある。
特段の用件はないのだけれど、
かまってくれたらいいなあというもの。
ちやほやして気を使ってくれて、
私をいい気持ちにさせてくれたらいいなあという。
俺もいろいろと忙しいんだから、
分かれよ、
なんて言うと、すごくむくれてしまう。

こういう人たちの場合、
結局どうして欲しいの?
時間ないからはやくして、
なんていう対応が一番まずい。

やっぱり私は嫌われている!
となってしまう。

傷ついて、落ち込んで、立ち直るまでしばらくかかり、
そのあとはさらに傷つきやすくなっている。

じゃあどうすればいいんだよ、
などといって、すったもんだしていると、
本人は、そのすったもんだで結局、
相手をしてもらっているものだから、
落ち着いてくる。
話し相手はくたびれてしまう。
相手がくたびれても眠り込んでも、
まだ話し続けていることもある。

何かの内容を提示することではなくて、
「あなたを拒否していない」「見捨てない」「好きで居続けている」ことを
言葉でも態度でも提示し続けなければ、
見捨てられたとみなして、落ち込んでしまう。

何も内容がないのだから、白紙のままでいいのだというのは
間違いのようだ。
内容がなくても、何かをぎっしりと書き続けなくてはならない。
それって何を言っているのかと不審に思うだろうが、
内容がなくても、何かをいい続けて、相手を安心させることが必要、
そして、その無意味な言葉の中で、間違って、
相手を傷つける言葉を並べたりしたら、アウト。

もともと意味のない言葉なんだから、深く気にするなよなどと思うけれど、
そうは行かない、
きちんと意味のない言葉、
マイナスの意味のない言葉を並べていかなければならない。
プラスの意味にはいまのところあまり反応しない。

意味のない言葉のつながりの中で、
偶然マイナスの意味のつながりが出来てしまったところを
非常に敏感に摘出して、
傷つき、嘆き、非難し、抑うつする。

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仕方がないので、
思考と行動に枠をつける。
たとえば、プログで言えば、
一日一回、800字から1000字の中に収めて書くというような具合の事を
現実の行動について、具体化していく。
たいていは、
睡眠時間と三度の食事の時間、仕事をするのか学校に行くのか、
主要な時間の使い方を決める。
学校の時間割というものは、
人間の本性と行動について、なかなか工夫された結果なのだと思う。

「見捨てられ不安」については、
人生最初の見捨てられと抑うつを母親との関係で経験し、
脳の中に回路が出来上がっている人も多いと思う。
履歴現象的でもあり、
キンドリング的でもあり、
脳の中にある学習機能の難しいところである。

「慢性的な空虚感」
については、
話の中で、他人がとろくてどうしようもない、自分でなんでもやったほうがまし、
なんていうような内容が出てきたら、
躁病に近い方なのだと思う。
この人たちは頑張れば実際にかなりのものが出来てしまうはずで、
だから、病気と言って抑制するのはかなりためらわれる。
しかしそのあとの抑うつと空虚感については予言することはできる。

相手が子供だとか障害のある人だとかの場合に、
果てしなくやさしくなれることもあり、
そのことは個人の特性とも見えるし、
同時に、病理の一部と見ることもできる。

竜宮城で遊んでいた浦島太郎はその後で苦労することになる。

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意味のない言葉を長々と読んでしまったあとの空虚感はどうだろう?