認知療法の1ページ目について

認知療法の1ページ目に何が書いてあるかというと、
たとえば、

人間においては、
認知、感情、行動、身体の四者が互いに影響しあっており、
一つの変化は他の三つの変化をもたらす。
不快な感情や身体症状を軽減するために、
認知及び行動の面から働きかける
精神療法の総称が認知行動療法である。

とのことである。

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あげられている四者は一見したところカテゴリーエラーであると
思われるのだが、
私の知らない深い理由があるのかもしれない。
立派なエビデンスがあるのかもしれない。

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素直に考えれば、
身体だけがある。
身体の一部に脳神経系があり、
その働きとして、
認知、感情、行動がある。
感情表出と行動実行のために、
身体の筋肉や涙腺が使用される。
認知はその前段階のものとして説明されているが、
認知神経を取り出して、ここの機能不全だと示した人はいない。

認知、感情、行動は、
人間が概念化して名付けたもので、
明確に区別できるものではないだろう。
脳の働きが外部に感情や行動として出る。
脳の内部の働きの説明として
認知や感情という言葉を使っているが、
そのような「もの」があるのではない。
概念化しているだけである。

現実にあるのは、
神経回路網である。
そこでの神経の諸活動だけがある。
それを人間の側で認知とか感情とか行動とかと名付けているだけで、
実体は、神経細胞の興奮と鎮静だけである。

その観点からいえば、
諸知覚を通して、脳神経細胞をコントロールするのが精神療法である。
認知行動療法でいえば、
諸知覚を通して、脳神経細胞の、認知行動に関係する部分をコントロールするものと言える。

だから私にとって意味があるのは行動療法である。
不安の階層表を作って、軽いものから順番に克服してゆく。
これだけが意味がある。

認知に働きかけるというのは
マインド・コントロールと紛らわしいところもある。

認知、行動の面からの働きかけというなら、
説教とか体罰とかも働きかけの一種である。

そもそもうつ病やパニック障害で
認知障害があるのか、なせ認知を変更すべきなのか、
明かではない。

かまってあげることだけが大事なのかもしれないではないか。

どの業界でもにた構造があるけれど、
たとえば、企業のコンサルタントは
つぎつぎにメソッドを開発し名付けて、売り込んでいる。
売る方も買う方もよく分からない。

産業精神医学はそんな観点の人も少なくない。

認知療法として有効なのは、と素直に考えれば、
認知が歪んでいることによる病気であって、
それは世界モデルが歪んでいるということであって、
それはパーソナリティ障害だろう。

もちろん、うつ病やパニック障害はパーソナリティ障害を背景にもつ場合があり、
その場合には認知療法が有効である。
しかしターゲットはパーソナリティ障害なのである。

私の考えではうつ病はMADの各成分の変動によるもので、
認知とはあまり関係がない。
治療は、細胞の回復を待てばよい。

パニック障害は一種の学習と忘却の障害であって、
世界モデルが歪んでいるわけではない。
治療は、行動療法的な再学習・上書き学習である。

パーソナリティ障害に対しては、
世界モデルに対して広義の行動療法的に働きかける必要がある。
広い意味での教育である。

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背景には「こころと体」という図式がある。
こころが不調で身体に病気が出ているという考え方。

実際、心の不調といっても、脳の不調と置き換えて考えているだけの人は多い。
こころは身体と二項対立的に存在するものではないはずだ。
こころは脳に還元され、あるいは単独の脳では説明が浅いとすれば、
たくさんの脳の相互作用として考えていいのだろう。