ネット社会 上部構造は変化を追認する時期が選べるだけである そのくらい無力

代表的な意見

 今の日本に閉塞感があるのは、夢や目標に挑戦せず、できることしかやらない人が増えているためです。魂の抜けてしまった人が多くなったのは、教育が知識の詰め込みばかりで、何かに感動したり、他人の痛みを感じることを学ばせなくなってしまったからです。知識偏重になったのは、企業中心、経済中心の社会になったため、効率ばかり追い求め、一人ひとりの人間にスポットが当たらなくなってしまったことも影響していると思います。

企業・経済が変わった → 個人が変わった → 心理が変わった

というストーリーになる
企業・経済が変わるのは、
黒船が来たり、戦争が始まったり、原爆が出来たり、IT革命がおきたり、グローバル化がおきたり、そんなことの結果である。
つまり、社会全体を大きく規定する物質的諸条件がまず決定される。ときに変革される。産業革命。エネルギー革命。通信革命。
それに応じて、個人が変わる。さらにそれを追認するものとして心理が変わる。

下部行動の変化 → 上部構造(心理・価値観)の変化
となるわけである。

そうなると、心理は、下部構造の現状を追認して、それに適応するだけになる。
適応できなければ適応不全といわれる。

後追いで追認するにも、人間には早いと遅いがあって、
ネットの場合、早く追認した人はネット適応者であり、遅く追認する人はネット懐疑者である。
ネット適応者が何かの事件を起こせば、
充分な検討もなしに、
ネットのせいにされてしまう。
批判者はネット懐疑者だからである。
多分批判者はネットに対して軽い被害感を持っている。
だからその気持ちをかぶせながら、ネット新世代を批判する。
ネット新世代のいいそうな事を代弁してみせる新世代の批評かもいて、
商売の仕方もいろいろである。