ノーベル賞科学者のメダワー夫妻 全体論

ノーベル賞科学者のメダワー夫妻

全体論
 
全体論は自然哲学者とアマチュア哲学者一般に強く訴えかけてきた教義である。その中でもっとも有名なのは、旧イギリス領南アフリカ連邦前首相ヤン・クリスチャン・スマッツ(1870~1950)だった。彼の著書『全体論と進化』(Holism and Evolution[London,1926])を参照せよ。
 全休論が教えているのは、いかなる統一体も、特にいかなる有機体全体も、単なる構成部分の集合ではなく、そのいくつかの部分が機能的に相互関係をもち相互依存していることにより統一性あるいは全体性を保つということである。有機体がその構成部分の単なる加算的総和であり、構成部分間での機能的関係は物理化学の用語で完全に説明可能と信じている、還元的な分析=加算的機械論者により実践されている哲学的見解があって、全体論者はその見解から私たちを守るのだと称している。分析=加算的な機械論者など存在しない、つまりそのような機械論者とは、能力の劣る自然哲学者が魔よけの儀式を楽しむ機会を得るためにこしらえた一種の通俗版の悪魔にすぎないということは、この哲学的勝利の輝きを多少減殺するものである。
 全体論者は、唯物論者が有機体の各部分を分離して研究するので深い理解をしていないと信ずる(かつ、この件で機械論者を非難する)。全体論者が無邪気で、実際の生物学のことなど何も知らないことを、これほどはっきり示している訴えはない。というのは、ある器官を「分離して」研究する芸当など実際できることではないからである。心臓とか腎臓をとりだして、適当な血液類似の液体を流すことによって拍動させたり、透析機能を続けさせたりすることはできるが、私たちは腎臓とか心臓を分離して研究しているのではない。それらの現在の形態や作用の様態は、それらが有機体全体の部分であり、胚の原基として最初に出現してから機能的な最終型の器官になるまで、有機体全体の影響に支配されてきたからこそ、現在のようなものとなっているのだ。それらを「分離して」調べることなどできない。全体論の評判が高いのは、一部には、それが還元主義に対する防壁であるとひろく信じこまれていることによる。もしそうだとしても、全体論に関する私たちの判定は、全体論が生物学理解を進めたことはなかったとしても、その理解をこれというほど妨げたこともなかった、というものでなければならない。

『アリストテレスから動物園まで』P.B.メダワー/J.S.メダワー