グルメに疑問

グルメに疑問です
素材を生かし、組み合わせを楽しむ、それに尽きると思うのですが、
逆に、
素材の欠点を隠す調理、
組み合わせでごまかす料理、
となっているのではないか?

わたしはたとえば、美味しいご飯といい卵をつかって、
あとはそのときどきの薬味を考えて、卵ご飯を食べる。

納豆の食べ方も微妙に何通りもある。
その好みについては、料理人にどうのこうのと言われたくない。
料理人の好みとか、一般人の最大公約数とか、
そんなものは全く関係がない。

鳥肉があるとして、どの部分をどのように焼くか、
それは個人的に楽しみなのであって、
料理人に押しつけられたくない。
私としては、こりこり硬い部分も好きではないし、
皮をどんなふうに焼いたとしても、食べたいとは思わないのだ。

牛肉を食べるとして、自分なりにベストな肉の厚さというものがあるし、
味付けについても、料理人のお任せになんかしたくないのだ。

まあ、自分で作って食べる一方で、
世の中でどんなものが美味しいと考えられているのかを
知ることももちろん大切で、ほどほどに投資もするつもりだ。

しかし尋常ではないと感じることもある。
八芳園の槐樹などは、
素人なら、フォアグラを出しておけば、話題にもなり、納得するだろうと
思っているらしい。
あの値段で、フォアグラ、従って美味しいはず、
自分の舌を信じることができない人は、美味しいと言ってしまうだろう。
それでいいけれど。

またどこかのスパ。
入会金と月会費との高いこと。私にとってはとてつもなく高価だ。だから私は散歩をする。
排気ガスを吸ってもいいから、散歩をする。
人に付き合ってビジター料金で使おうかと思ったら、平日 5,250円とのこと。
すいませんでした。私には関係のない世界でした。

言いたいのは、お金持ちがどんなことを楽しみにしても、それは関係ない。
少なくとも私は、自分の経済状態にあった生活をするし、
その範囲で暮らすとして、なにも不自由もないと言いたいのだ。
まずいものを高い金を払って付き合いで食べるというのが、
金持ちの仕事なのだ。
私は貧乏人として、安くてうまいものを自分勝手に食べる。
どうだ、自由だろう。

グルメにしてもスパにしても、
高い金を払って年寄りのゲイシャを眺めているような、
倒錯した感覚を思い出すのだ。


おかしいよ。