スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」-2

海が活動しているらしい。
そこに何らかの理性や意識を見て取るかどうか。
まったく物質的な振る舞いであると解釈することもできるし、
そこに何らかの意識や目的性や意志や感情を持ち込んでよく分かるようになるかもしれない。


また、そういった状況をすこし遠くから眺めてみた場合に、
人間に意識というものが本当にあるのか、それも疑わしくならないか?
それは単に解釈の違いでしかないのだと言えるのではないか?

猫の脳みそが入っていても、
人間の格好をしていれば、
心があると思うはずだ。

逆に、人間の脳みそが入っていても、
猫の格好をして言葉が話せなければ、
心はない、或いは、猫程度の心しかない、或いは、猫の心がある、という解釈になるのだろう。