大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」8

○しかもそのようにして生きのびるだけでなく、自分を、なにかえたいの知れないところのあるものから、なんとかかたちのある「自分自身」に造り上げて行っていたのですから。

●自分を造り上げる。そうかもしれない。しかしまた、私の目指すことは、自分自身を造り上げることではなく、人々に向けて、それも100年後の未来の人類に向けて、確かな、有効な言葉を残すことではないかと思うのだ。そして、その言葉をみがき固める過程で、私自身が確固たるものとしてみがかれて出来上がるなら、それも望外の喜びである。

●100年後の人と仮定することで、理想的な人を想定することができる。信頼するに足る人と想定することができる。しかし一方で、現在、周囲にいる人間に対しての、不信感と解釈することもできる。

○子供だった頃のリアリティーは、悪夢から幸福な夢まで、まさに夢のリアリティーと重なっているようにも感じられる

●こうしてみると現実の時間軸と夢の時間軸は並列しておかれているようだ。無論、現実であることの重みはどうごまかしようもなく重いのであるが。人の心の中で、過去や未来は現在と拮抗する形で存在しているし、過去の人間は、いま現在命がないとしても、やはり人の心の中で生き続けていると思う。