津軽海峡冬景色で年が終り年が始まる ただ石川さゆりゆえに

風呂に入ろうと思って通りかかったら、
テレビでは石川さゆりの津軽海峡冬景色。
石川さゆりの津軽海峡冬景色は、
実際、私の人生のいくつかの場面を彩ってくれた。
歌とともに記憶している場面が、少ないけれどいくつかある。


この顔で、この声で、この表情で、この歌。
緩やかに歳をとりつつ円熟し、今日がある。


ほんの少しの熟成のために、一年がかかる。


そのあと ごきひろし。


石川さゆりのときも、ごきひろしのときも、
周囲の人がステージ上で私語をしているのが
映っている。
20年前には禁じられていた私語だが、現在では、
あらゆる場面で許容されている。


誰かが大勢に話しかけているときに、平気で私語。
場合によっては携帯さえも。


もう私などの生きる場所ではないのだ。
強烈な違和感。疎外感。異邦人感。


司会者がプライベートなことを話して、いやな感じ。
知性など誰も求めていないに決まっているが、
見事に脱知性。どんな芸なのか。


最後にみんなで歌うとかで、スマップの、
オンリーワンだからナンバーワンでなくていいと、
歌詞の内容と全く裏腹に、
参加を強制していて、
趣味の違う人たちが同じ歌を歌っているので、
気持ちが悪い。
はかまをはいた森進一とだらしない格好の何とかという若い人が
並んで歌っている。
この非自発的な、強制盛り上がりの様子。
これが多様な意味で現在の日本である。
昔からそうだったし、これからも、そうだろう。
歌わないで座っていてもいいのに。


うたいたくない人は、来年から招待されない。
排除される。


ナンバーワンを目指す人たちが
刻々と世界を切り刻んでいるというのに、
オンリーワンでいいんだよなんて脱力している
この国に住むことも税金を払うことも
要検討。
スティングがトスカーナに住んでいるというので、
まねができないか、検討。


ダイアン・レインの「トスカーナの休日」があって、
とても好き。Under the Tuscan Sun.2003.


そのあと、蛍の光。
ありがとう2007年。
さようなら2007年。


風呂に入る前に石川さゆりを賞讃しようと思って、書いた。
石川さゆりは、ますます、いい。
その声とその表情が、
来年また、さらにコアに石川さゆりでありますように。