2割司法・泣き寝入り・弁護士増員

2割司法
 
 2割司法とは、司法すなわち裁判は、本来果たすべき機能の2割しか果たしていないという意味である。残りの8割は、泣き寝入り・政治決着・暴力や行政の力ずくで、道理を曲げ弱者をいためつけて物事が進んでいる。また、なるべく解決自体をあいまいにしたり、何故こんな結果になったかの道筋を明らかにせず、社会全体を不透明にしている。わが国が人類普遍の原理として憲法で受け入れた「国民主権」の国家として、自立した国民による国家を目指すならば、わが国の司法は21世紀に向けて根本的に改革されなければならない。このために今国会において司法制度改革審議会設置法が成立した。この審議会は、何よリ司法を利用する一般市民の立場からの改革を大原則とすべきである。
 従来の司法の改革は、常に、司法を現実に動かしている裁判官や検察官、それに弁護士の側からの改革であった。このことが結果的に司法と市民の間にあった濠(ほり)をますます広げ、司法を遠い存在にしてしまった。
 裁判の結果についてはいろいろ報道されるが、肝心の裁判制度や弁護士制度自体の論議に関する報道は少ない。刑事物語の映画でも、日本では、パトカーが来て犯人が逮捕されるシーンで終わるものがほとんどである。一方、外国の映画を見ると、逮捕されてから裁判のなかでドラマが展開していくものが多い。
 私は司法の機能や市民からの距離の面からの現象を「2割司法の二重構造」と呼んでいるが、2割司法の根本的治療のためには、まず司法と市民の間にある大きな濠(ほり)を埋め、もっと司法を身近に感じてもらうところから司法改革の論議が始められなければならない。そうでなければ、市民の立場に立つ司法の改革は空論に終わる危険性がある。
 司法制度の改革をもっと動的にとらえ、国民の大きな関心のもと、国民のエネルギーのもとに改革が進められなければならない。(中坊公平=元日弁連会長ー99年6月30日付『東京新聞』夕刊「放射線」より)
 
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なぜか引っ込んでしまった中坊公平氏の言葉である。
「2割司法の二重構造」は正しい。


弁護士の数が多すぎるなどと
全くおかしな議論があるらしい。
多すぎることは全くない。


事件があり、正義を主張したいのに、お金がないために、
弁護士を頼めない人がどれだけいると思っているのだろう。
あるいは、自分の当然の権利を守りたいだけなのに、
訴訟にすればお金がかかり、結局泣き寝入りする人がどれだけいると
思っているのだろう。


今、弁護士の数を増やさない方がいいと発言している人や、
裏でその方向で活動している人の名前をきちんと覚えておこう。


書類の一枚で人生が曲げられ、
それきりになっている人がどんなに多いか、
わたしは憤りを感じる。
個人的な努力ではどうしようもない。
弁護士でも司法書士でもとにかく数を増やして、
法的な合理的な解決が身近になって欲しい。
そして、法と信義に背くことをすれば、報いが来るのだと感じる、
あたりの前の社会になって欲しい。


現状では、金持ちだけが裁判に訴えることができる。
それが現実の一部分である。


いい弁護士さんはいる。いいお医者さんもいる。
なぜあんなにも立派にしていられるのかと思い、
尊敬する。
人間の出来が根本的に違うのだ。
そのような人たちに依存する制度は無理がある。