権力と機能 日銀総裁ポストは財務省権力の結果である

財務省が自分の席として、日銀総裁を確保したいのは分かる
それが権力というものだ

権力と機能の違いを考える

たとえば、中国の玄宗皇帝が、
楊貴妃の親戚をえこひいきして取り立てて
問題になった。
それが権力である。

理想的な皇帝は、
えこひいきしないので、
そこには機能だけがある。

これが権力と機能の違いである。

上司が完全に透明な「機能」になったとき、
理想的なのであるが、
そんなことはありえなく、やはり「権力」を行使する。
えこひいきではずされたほうはひがむ。
ひがみようがないように全員に平等に評価するなら、
それは透明な「機能」である。

財務省は、透明な機能ではなく、
権力なのであって、
能力があるからではなく、身内だから、ポストにつけたいのだ。

能力があるからだというなら、その能力は、
国家から税金をもらいながら長い間、On the Job Training された結果だと
見ていいだろう。

若いときの試験による選抜は、その時の運である。
長い間の仕事がその人を育てる。

そのような体験を積んでいる人は他にはいない。
だから、日銀総裁ポストは占有される。

財務省を全体として考えると、それは「機能」ではなく、
身内をかばい合う権力であることは明白だろう。

どの世界でも、権力がある。
仲間や身内を重く処遇している。
派閥や閨閥がある。

そのような「権力」を排除したとき、
現在の支配層は、損をする。だから、
透明な「機能」にはなり得ない。

社会で上昇しようとするものは、
権力の側に近づきたいと思っているだけで、
自分が透明な機能に徹しようとは思っていないのだろう。

そのような人がいれば、
煙たがられて、
はずされていく。

はずされているのは、むしろ、名誉なことだと思う。
番外地で自由に振舞うのがよい。
わたしはそれを応援する。

人間の感情の混じった世界では、機能ではなく権力が支配している。