百年後の評価

あまりにも違う人生行路
予想と現実と
そして今ここに至っている

わたしの言葉はいつまで残るだろう
電脳世界に残るのだろうか
いつか期限を決めて、管理者は削除するのだろうか。
百年、百年の後の誰かに、
わたしの言葉が理解されればいいと思うのだ。
大それたれた望みで。

そしてそのとき、評価を下してもらいたいものだ。

平安古典ものは、千年を経て、評価されている。
この奇跡。

しかし千年後、日本語を理解できる人間は何人いるのか、いないのか。
そんな問題を空想する。