田中秀征・財務省が負けて国際信用高まった・財政と金融の分離が明確化

田中 秀征氏の論評。

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政府・与党は、「野党の人事不同意によって、総裁不在の空白を招けば、その責任は反対した野党側にある」という。この理屈は通らない。なぜなら、それでは“同意人事”そのものが無意味になるからだ。政府案に同調しなければ無責任だというのなら、そもそも国会の同意を求める必要がなくなる。

財務省にとって、日銀総裁のポスト獲得は死活的に重要である。省の存在意義をかけていると言っても過言ではない。

さて、国会が財務省の次官経験者を拒否したことは、日本経済に対する内外の見方を大きく変えていくに違いない。財務省が主導する経済政策から脱皮するメッセージと受け取られるからである。

9日の毎日新聞は、自民党の幹事長経験者の発言として、「財務省の組織を挙げた武藤氏を推す動きはすさまじかった」と報じている。おそらく、OBまで総上げで与野党の国会議員の各個撃破に奔走したのであろう。実は、そのような組織的動きにこそ、武藤氏が拒まれた理由があるのだ。

どのような結果になるにせよ、これで財務省OBの日銀総裁就任はなくなった。

われわれは2つの大きな成果を得た。

一つは、「財政と金融の分離」が明確になり、日本の経済政策、とりわけ金融政策への信頼と期待を高めたこと。一体化した財政と金融は、1985年のプラザ合意以来、いくつもの政策的失敗をもたらした。「財政事情を過度に考慮した金融政策」が国民経済に悲惨な事態をもたらすことをわれわれは学んできた。

今後も“国債の利払い”や、“国債の日銀引き受け”を考えると、財政当局の低金利願望は続くだろう。そのような財務省の意見は、国民に分かるような形で日銀と調整すればよいのだ。

一つは、官僚の天下り問題。日銀総裁は財務省にとって、天下りというより「天上り」だと言ってよい。他の政府系金融機関の総裁とは異なる。日銀総裁のポストをローテーション化すると、財務省官僚の権威は飛躍的に高まる。そうでなくとも威信の低下がささやかれている近年の財務省にとっては起死回生の悲願であった。

野党、特に民主党にはもたつきがあったが、結果的には改革姿勢を貫いたことに敬意を表したい。言動を追跡して感じた印象で言うと、鳩山由紀夫、岡田克也、仙石由人氏などは、終始ぶれることなく突き進んだと思われる。

この一件で、もしも民主党が折れていたら、それは自民党が民主党に勝ったというより、財務省が政治に勝ったことになる。武藤氏が総裁に就任したとしたら、それは財務省が総裁に就任したと受け取らざるを得なかった。だからこそ、日銀総裁人事がこれほど問題化したのである。

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財務省が主導する経済政策から脱皮するメッセージと受け取られるから、国際的にもプラスとする論じ方は面白い。