中国残留邦人―置き去られた六十余年

中国残留邦人―置き去られた六十余年 井出孫六(新赤版1119)岩波

「満蒙開拓百万戸計画」なる“国策”で送り出され、敗戦により中国に置き去りにされた人々は、異国の地でそれぞれに苛酷な現実を生き抜いてきました。そんな「中国残留婦人・残留孤児」たちが、数十年を経てようやく帰国が叶った祖国を相手に裁判を起こした背景には、いったい何があったのでしょうか。そこで問われた課題は何だったのでしょうか。そして何よりも、国家と個人との関係とは? 大佛次郎賞受賞の傑作長編ルポルタージュ『終わりなき旅』刊行から二十余年、この問題をライフワークとして追い続けてきた著者が、度重なる「国家の怠慢」の全貌と、それに翻弄され続けた人々の姿を描き出す決定版入門書です。
   
  ■著者からのメッセージ
 かつて“国策”で「旧満州」に送り出され、敗戦によって現地に置き去りにされた「中国残留邦人」は悉く幼い子どもと婦人たちだった。彼ら彼女らは国交回復まで27年間、日本鬼子(リーベングイズ)の名のもと、侵略の罪責を一身に背負って生き続けてきた。永住帰国の道のりがまた10年、20年と五月雨のように続き、「残留孤児」の日本語習得は年齢が壁となり、「残留婦人」の高齢化は生活保護に頼るほかなくなった。あの戦争から遠く離れた21世紀になって、彼ら彼女らが国を相手に起こした訴訟は、六十余年に及ぶ国の不作為と怠慢に対する彼ら彼女らの人間回復のための「声」だった。2008年4月から「改正中国帰国法人支援法」が施行されることになった。「わたしたちにとって戦後がようやく始まりました」と「婦人」の一人が微笑した。
    
  ■著者紹介
井出孫六(いで・まごろく)
1931年 長野県南佐久に生まれる。
1955年 東京大学文学部仏文科卒業。中央公論社勤務を経て、『秩父困民党群像』で作家としてデビュー。1975年、『アトラス伝説』で第72回直木賞受賞。1986年、『終わりなき旅―「中国残留孤児」の歴史と現在』で第13回大佛次郎賞受賞。日本文芸家協会理事、日本ペンクラブ会員。
著書―『秩父困民党群像』(新人物往来社)、『峠をあるく』(筑摩書房)、『信州奇人考』(平凡社)、『歴史のつづれおり』(みすず書房)、『終わりなき旅』 『ルポルタージュ戦後史』 『ねじ釘の如く』 『柳田国男を歩く』(岩波書店)、『満蒙の権益と開拓団の悲劇』、『石橋湛山と小国主義』(岩波ブックレット)、『抵抗の新聞人 桐生悠々』(岩波新書)、『野口英世』(岩波ジュニア新書)など。
     
  ■目次
 はじめに
  第一章 「満蒙開拓」と関東軍  
  (一)武装移民
(二)「二十カ年百万戸」の移住計画
(三)分村移民の広告塔
(四)分郷開拓団の悲劇 
  第二章 置き去られた人たち  
  (一)一枚の地図と「関特演」
(二)果しなく黄色い花の咲く丘
(三)佐渡開拓団跡の惨劇
(四)混迷深める大本営
  第三章 戦後引揚げの遅延  
  (一)八・一四訓電の無策
(二)旧満州引揚げ小史
(三)岸政権と日中断絶
(四)戸籍からの抹殺
  第四章 帰国への遠い道程  
  (一)日本政府恃むに足らず
(二)総合的施策の欠落
(三)終わりなき訪日調査
  第五章 幻滅の天国に帰って  
  (一)後追いの定着政策
(二)定着促進センターの四カ月
(三)「大地の子」の後半生
(四)「残留婦人」一二人の「強行帰国」
  第六章 国家賠償請求に向けて  
  (一)帰国のピークとなった九〇年代
(二)「残留婦人」ら三人の訴え
(三)燎原の火となった訴え
(四)政策転換闘争の一里塚
(五)法廷に初めて血が通った
   おわりに
 主要参考文献
 中国残留邦人 関連年表
 (巻末資料)中国「残留孤児」裁判訴訟―神戸地裁判決(抄)
  ■関連リンク先
NPO法人 中国帰国者の会

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「大地の子」で描かれ、これはドラマにもなった。
戦争が終わって、命からがら逃げてきた人の話を数多く聞いた。
これはPTSDというものだなあと思いつつ、聞いていた。

ある人は、満鉄の関係者であったが、逃げる途中で、北朝鮮に2年くらいいたとのことだった。
満鉄の債権のようものがただの紙くずになった。
女だけど、男の格好をして、逃げた。

大変な人生だった。人生の終りになって、貧困と病気が彼女を襲っている。年金をもらい、市営住宅に入居している。しかし、市営住宅が老朽化したので、建て替える話が出ている。新築すれば、家賃は上がる。家賃が上がれば、多分、住み続けられないという。住民自治会に参加して、日本共産党の勧誘を受け、入党した。ビラを配っている。この人の場合多分、偶然で、自治会を創価学会が支配していれば、それでもよかったのだろう。

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私の生育の中では、目に見える形での満州国の影響はなかった。最初に感情を伴って知ったのは、山口百恵のドラマだった。三国連太郎が演じる男が満州帰りで、満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡り、敗戦し、その後は逃亡生活を続けたというような男だったと思う。
そのあとも、そのような経歴の人と話をすることはあまりなかった。
仕事が老年期のケアに替わってからは、戦争の話をよく聞いた。そして満州のことも聞いた。関東地区には逃げ帰った人はかなりいて、生育歴というかたちで時間をかけて聞かなければ、なかなか話さないような話だった。
国家権力というものは何をしてきたのだろうかと思う。
また、人間というものは、有史以来、戦争を続け、それでも懲りずに、この30年くらいは、日本も右傾化を続けている。30年前は、アサヒジャーナルと世界を読んでいたものだが、確実に右傾化は進行し、ついに小泉、安倍政権になり、絶望も深い。
特に岸氏は満州国に関わり、さらに日米安保に関わり、その孫が憲法を変えようと言っているのである。満州関係者は徐々に死んでしまい、その声は時間の経過とともに小さくなる。
野中氏のような世代は、戦争の傷を生々しく感じているようだが、その後の世代は、「世界の中で普通の国になる」というようなことを言っている。
多分、もう止められなくて、また再び、優秀な人、自己犠牲的な人が、率先して死んでゆくのだ。そしてくずのような人間が残る。希望はどこにもない。