はったり

空威張りしたり
はったりだったり
見かけを100として実力を60として100(60)とする

謙虚で控えめで
見かけが80として実力が120とすると80(120)となる

空威張りが存在するのはそれが有効だからで
現在のように
普段の行動や子供の頃のその人を知らない人が
その人を評価しようとする場合、
空威張りにだまされ易い。

代表的なものは、組織の力、学歴、推薦人、経歴書、親戚、閨閥。
そんなものを信じる人にとっては、
100(60)のほうが80(120)よりもありがたい。
また、そのような人たちにありがたがられたくて、
60なのに100だというふりをする。
だから、空威張りしている人とそれを崇拝する人の利益は一致しているのだ。
だからそれでいい。放置。

80(120)はそれほど世間からありがたがられるわけではない。
しかし本当に分かってくれる人は120と評価してくれるから、
むしろ落ち着いて生きていられる。

空威張りしていると、
うっかりすると、張りぼての裏が見えてしまったりするものだ。

80(120)の人にしても、
世間の煩わしい関係の人を100(60)の人が処理してくれるおかげで、
クオリティを保つことが出来るという側面はある。
だから
80(120)と100(60)もまた、持ちつ持たれつなのである。

はったりはいいことではないと思うが、
需要と供給があることは確かだ。

はったりを信じようとする人たちは
どこか疑心暗鬼なのだろうと思う。
自分でははっきりと判断できないのだから。