嫉妬深い人は理由があるから嫉妬するのではなく嫉妬深いから嫉妬するのです。小田島雄志

Ⅲ 嫉妬深い人は……理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから嫉妬するのです。    (オセロー 三幕四場159行)
  They(=jealous souls)are not ever jealous for the cause,
but jealous for they are jealous.

 これは僕の大好きなせりふです。我々はしばしば、人間の行動というのはこういう理由があるから、こういう行動をしたということで、わかったと思いがちです。これはやはり非常に表面にとらわれていると言えます。例えば昔高校生が、母親を金属バットで殴り殺すという事件がありましたが、その行動が、非常に不思議であると話題になりました。仮にその時に、エレキギターやバイクが欲しいと言ったらお袋が許さなかったのでという理由があったら、わかったとたいていの人が思うのでしょうが、本当にわかっていいのでしょうか。エレキやバイクを買ってもらえない高校生がみんな、お袋を殴り殺すのならいいのですが、そうじゃない。だから、行動に理由がつけば、それでわかったということになるとは限らないと思います。昨今の日本の外交、外務省のことまでいうと具合が悪いので、今、政治、外交の話はしません。けれども、人間というのは理由と等価値の行動をするとは限らないのです。
 私は学生時代に、中野好夫という先生から、シェイクスピアの面白さをいろいろ教えていただきました。その中に、例えば『オセロー』のなかで悪党のイアーゴーがいて、オセローを破滅させますが、その理由を、イアーゴー自身、自分が当然副官になっていいのに、オセローは自分を差し置いて、実戦経験の少ない、マイケル・キャシオーという男を副官にしたからだという、この恨みは当然あっていいと思います。自分が副官に選ばれると思ったのに、旗持ちのまま据え置かれた。これは一般サラリーマンの中にもあるのでしょうね。俺のほうができるのに、あいつが先に出世、課長になったから恨むというのはよくある話です。
 だけど、そのために上司を殺すのでしょうか。これは、十九世紀以来のシェイクスピア学の大問題のひとつなのです。イアーゴーのモーディブ・ハンティングといい、つまり動機探しです。なぜか。イアーゴー自身、もうひとつ理由を言っています。副官の職の問題ともうひとつは、彼にはエミリアという妻がいますが、オセローと自分の女房が浮気したといううわさ。これはうわさに過ぎないけれど、イアーゴーは俺はうわさになるだけで、信じてしまう男だとか、いろんな理屈をつけます。要するに、理由なんか探したって無意味というわけです。そこで、後の批評家たちが、イアーゴーについて、よく悪のための悪であり、すなわち悪の芸術家であるなどいろんなことを言いました。いわゆるローマ派、ローマン主義者と言われる人たちの解釈だと、そうなってしまうらしいのです。ただ人間についてごく当たり前に見れば、これだけの理由があるから、これだけ行動すると割り切れるものではないだろうということを、僕は中野好夫先生に教わりました。戦後、中野さんが出した例で、ある歌舞伎役者の家で茶碗一杯の飯のことで、一家惨殺したという事件がありました。そのように、先生はつまり人間というのは、ほんの小さい理由で何をやらかすかわからない。それこそが人間だということをおっしゃった。私も同感です。
 シェイクスピアというのは、理由というものは本当に些細なものだと言っています。行動と理由つまり動機というものは、これはもう本当にイコールじゃないということを、いろんなところで強調しています。
 例えば『ヴェローナの二紳士』という初期の喜劇があります。そこにあるお嬢様とその侍女との会話があり、男の品定め、源氏物語の雨夜の品定めふうに始まります。その時、お嬢様のほうが侍女に、あの方をどう思うかと聞くと必ず批判的な悪口になっていき、そして、お嬢様の恋人の名前を出すと、そのことを侍女のほうは知っているので、「I think him best.私はあの人は最高だと思います」と言います。お嬢さんのほうが、「Your reason?その理由は」と聞くと、reasonっていっても、「I have no other but a woman's reason.私には女の理由しかありません。I think him so because I think him so.そう思うからそう思うんです」というやりとりがあります。あの方が最高だと思うから、そう思う。これをwoman's reason´女の理由という言い方をしています。
 そう言われてみると、女子高校生たちにアイドル歌手の名前を出して、「好きか」と言ったら、「好き」と。「どうして」「好きだから好き」。これ、非常に正しいんです。男の子に聞きますと、こうだからって、何か理屈を言います。男はだめです。僕も理屈を言いたくなるほうだけれども、好きだから好きというのが、いちばん当たっているでしょうね。つまり人間というのは、これだけの動機があればこれだけ行動するものだという具合の見方にとらわれていると見損なうので、嫉妬深い人は嫉妬深いから嫉妬するという風に見る。これは非常に正しい見方だと、僕は思います。シェイクスピアはそういう例をいろんなところで言っています。皆さん、『オセロー』の芝居がどういう芝居かはもうご存じでしょう。
 このせりふを言ったのは、イアーゴーという悪党の妻、エミリアです。余談ですが、オセローというのは元々ムーア人で、ムーアというのはいまのアフリカ北西部、モーリタニアあたりなので、彼の肌の色は褐色のはずです。当時、つまりエリザベス朝のシェイクスピア時代の人々は、悪魔の色とか、要するに真っ黒で厚唇という、アフリカン・二グロのイメージでムーア人をとらえていました。しかも年は、中年の坂を越えたと自分で言っている男で、そして身分は傭兵隊長です。
 統一前のイタリアではベネチアとフィレンツェは共和国、ミラノは公爵が治める公国。ナポリは貧乏で実力がない王様がいる王国ですね。それとバチカンのバランス・オブ・パワーでイタリアが成り立っていました。ベネチアというのは、海外貿易でものすごく裕福だけれども、戦争には弱いので、外人部隊を本当に雇っていましたが、そこで起こった物語であり、実際にはチンティオというイタリア人の書いた小説が種本になっています。
 そういう外人部隊の、雇われ将軍であり身分からすれば、かなり低いオセローが、元老院筆頭議員の一人娘のデズモーナと愛し、愛されて、一緒になったというところから、この悲劇は始まります。
 だから、イアーゴーという男は自分が副官に選ばれなかったということもあり、それから、女房を寝取られたと、でもこれはまさか、自分でも信じていないでしょうが、ただ要するに、あの黒人の雇われ将軍に過ぎないや
つが、大貴族の一人娘と一緒になるというこれだけでも嫉妬して羨ましいという気持ちを持ったのです。要するに嫉妬深い男だから、嫉妬したのです。この芝居の本質は、イアーゴーが嫉妬深い男だったから、オセローを殺した、破滅においやったと見ることが出来ると思います。
 このせりふはイアーゴーの妻エミリアのせりふです。どういうところで言われるかというと、どうも旦那様のオセローの様子がおかしい。彼はイアーゴーにたぶらかされて、妻のデズデモーナがが副官のキャシオーと怪しいと信じてしまい、その様子をエミリアが見て言うせりふです。彼女はデズデモーナの侍女で、自分の亭主がおとしいれたとも知らず、デズデモーナに向かって、「どうもだんな様の様子がおかしいけれど、もしかして奥様に嫉妬していらっしゃるんじゃないかしら」と言います。デズデモーナは嫉妬される理由なんかないと答えます。そこで、これはエミリアという、いわば庶民の人間観が言わせるものです。「嫉妬深い人は理由があるから嫉妬するのではありません。嫉妬深いから嫉妬するのです」。これがやはり人間とはそういうものではないかなと、私自身も思います。

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「理由というものは本当に些細なものだ」
「行動と理由つまり動機というものはイコールじゃない」
そうですね。人間を診ていてそう思います。

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「つまり人間というのは、これだけの動機があればこれだけ行動するものだという具合の見方にとらわれていると見損なうので、嫉妬深い人は嫉妬深いから嫉妬するという風に見る。これは非常に正しい見方だ」
動機探しとか理由探しは、常に心理家が陥り易い罠である。

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女子高校生たちは「どうして」と聞かれても「好きだから好き」と答える。非常に正しいんです。男の子に聞きますと、こうだからって、何か理屈を言います。男はだめです。

昔のドラマで、「カケイ君じゃなきゃだめなの」と理屈のないせりふを言われて、
キムタクが振られる場面があった。

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どうでもいいけど、どうして小田島先生は「女子高校生」「たち」に
アイドル歌手が好きかどうかなんて聞く機会があったんですか?

「好きだから好き」としか答えない「女子高生」「たち」はやはり特殊な一部のような気がしますが。
まあ、詮索しません。

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「この芝居の本質は、イアーゴーが嫉妬深い男だったから、オセローを殺した、破滅においやったと見ることが出来ると思います。」

女同士の嫉妬もきついが、男同士の嫉妬もかなりきつい。
これだけでかなりのものが説明できるようなきもする。
東京は人が多すぎて、嫉妬が多すぎる。

本来、自然界というものは、
男が一人いれば、しばらく歩かないともう一人の男には出会えないようにできているのだ。
縄張りが非常にはっきりしている。
それがこんなにも男がたくさん密集して机を並べているなどとは、
非常に考えにくいのだ。
男性ホルモンは周囲に男性ホルモンが存在することを嫌う。
しかし戦争になれば、集団の駒になって、敵と戦う。それが男性ホルモンだ。
新橋は「濃い」濃縮された場所である。

たとえば、田舎の診療所を考えて見て欲しい。
男は医師のみ、ナースが二人くらいいて、女性事務員さんが一人。
そんなのが一番安定する構図なのだ。

霞ヶ関でも、同期で生き残るのはよくて一人だけ。
年次の偶然で生き残れなくなったりする。

本郷でも、生き残るのは一人またはそれ以下。
当然嫉妬の世界である。

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身分からすれば、かなり低いオセローが、元老院筆頭議員の一人娘のデズモーナと愛し、愛されて、一緒になったというところから、この悲劇は始まります。

これがまさに豊臣秀吉である。
この構図になると、悲劇は常に起こる。必発。

秀吉君の人生はここで行き止まりだ。

しかし、よい、悲劇を生きよ。
わたしはそうアドバスしたい。
不可避なものなら、仕方がない、生きてみようではないか。
悲劇を生きるのも勇気である。

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このせりふはイアーゴーの妻エミリアのせりふで
庶民の人間観だという。

わたしがよく引き合いに出すのは、お見合いおばさんの言葉と星占いの言葉だ。
庶民の人間観が実によくあらわれていて、
しかもよく納得してもらえる。

心理学の言葉を平たく言えば、そうなるらしい。

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フロイトはシェイクスピアと聖書とギリシャ悲劇を教養として
ウィーンの世紀末を開業医として生きていた。

わたしはフロイトよりも有利な立場で、
なにしろフロイトとシェイクスピアと聖書とギリシャ悲劇と平安短歌を教養として
東京の衰退途中を眺めるという、
絶好の歴史の好機に恵まれているのだけれど、
まさに野球で9回裏逆転さよならのチャンスというくらい絶好機なのだけれど、
見逃しの三振をしそうである。
人間は分からない。

理由は些細で動機は不明。行動は抑止し難い。

裁判官は「分かる」ことになっている。
それも不思議な擬制である。