千曲川の花火を真上に見る

夏祭りや打ち上げ花火で思い出すのだが、
長野の千曲川の河川敷でみた花火はいまでもよく覚えている。
まだ日本が高度経済成長といわれていた時代である。
トヨタのクラウンが世界で一番いい車だと思っていた。

河川敷で鮎のコースがあって、
塩焼きをはじめとしていろいろな料理法で、
一年分の鮎を食べつくす。

夜になると河川敷では真上に花火が上げられる。
見上げていると首が痛いので、横になってしまう。
すると花火の合間に星がきれいだった。
真上に上がるので、
花火のくずがぱらぱらと落ちてくるようだった。
焦げるにおいもしたようにおもう。

女性は香水はつけず
ただ清らかなのである

その乳首は清らかだ

最近は女と堕落しあうばかりだが
あの頃は女性と高めあうことが出来ると信じていたし
一時的にはいろいろと高めあうことが出来た

夏で暑いけれど
夜になればさほど湿気もない感じで
いいものだった

女性はうちわで私を扇いでくれた
そんなことがいまも忘れられない
いまではそんなことは決してないからだ
何という遥かな昔だろう

軽井沢から近い
高めあえる恋人と出かけてみるのも楽しいかと思う

一泊したあと、白いそばを食べて帰ってきた
わたしは黒いそばが本当は好き

当時あった軽井沢の小屋は
妻が、維持が難しいからと、勝手に売ってしまい
いまはない
行きたかったらホテルに泊まればいいといわれるが
ホテルに泊まるくらいなら行かない
小屋の手入れをしなければならなくて
仕方なく行く、
そこから夏が始まるのだった

そんなこともいまはない
結果として夏も働いている

昔は父が夏も働いて
母とわたしたち子供は祖父母と共に山に暮らしたものだった

父は週末になっても小屋に来なかった
母は母でプライドをかけて小屋を愛した
そのような場所を妻は疎ましく思った
実際貧相な小屋で
バブルの頃に売ったのは
妻の頭のいいところだと思う

わたしの子供たちも小屋なんかはいらないという意見だった
それでいいのだろう
小屋は過去の遺物だ

そうなるとますます千曲川の花火の夜は
思い出の中でくっきりと浮かび上がる。

わたしの妄想かなと思うくらい私にぴったりの色合いでそれは心の中にある