アタッチメントとADHDとトラウマ

児童思春期や乳幼児の精神医学は
格別におもしろい。

脳が脳を診察することが精神医学のおもしろさで、
脳が心臓を診察するのとは根本的に異なると思っているのだが、
大人の脳がこどもの脳を診察している様子を私の脳が傍観していると、
それはまたかなりおもしろい。

大人の脳はこどもの脳に対して優位に立ち当然のようにコントロールできるとも思い、
コントロールできないときも、わがままだからとか衝動的だからという。
そうではなくて治療者の脳とこどもの脳とを含めたシステムの不全があるので、
脳と脳とも違うが、
脳とこどもの脳は、
やはり、脳と心臓とは違うと思われる。
アタッチメントは20年前から、トラウマは10年前からの話で、
時期が違うのだけれど、
アタッチメント不全があるから、虐待になりトラウマになるのか、
虐待があってトラウマがあるからアタッチメント不全になるのか、
最初の虐待の原因としてそもそもADHDがあるのではないかとか、
いろいろな因果関係が想定されて、どれも実際にあるようだ。

児童思春期と乳幼児の場合には問題があったとしても、
年月がたって、問題は克服され、こどもは成長する。
問題が克服されないときも、少なくとも変形している。
そこに年月がある。

赤ん坊がおっぱいを要求して、手足をばたばたさせた。
それと同じに、中学生の男の子が、要求を通そうとして、
手足をばたばたさせて、ガラス窓を壊してしまった。
これはおなじことなのか、違うことなのか。

こんにちはこんにちはと言いながら、離れていくこども。
過覚醒のこども。しかしそれが現実に有用である場合。

まるでパーソナリティ障害の原型を見るような、こどもの行動。
児童思春期と乳幼児には
豊かな鉱脈がある。
理論はそれなりに難しいが。

ここではかなり徹底的に心理学的因果関係を辿る。
生育を辿ればもこどもの脆弱性も、トラウマも、いくらでも見つかるようだ。

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アタッチメントと探索行動の時期を判別し、
アタッチメントの時期にはその要求にこたえて保護的に対すればいいし、
探索行動の時期にはその要求にこたえて見守ればいい。