兼ねることあたわず悲し

「かなし」「悲しい」「哀しい」「愛し」について
もとは「兼ね」と同根
「他人の身を兼ねられるものなら兼ねたい、しかし兼ねることのかなわぬ
根本的な悲哀と同情」
「他者を兼ねることができず自己でしかありえぬことの悲哀」
「自分の力ではとても及ばないと感じる切なさ」

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語源の探索が有効かどうか
よく分からないが、
この系統の「かなし」は
同情とかcompassionの系統のようだ

sadとかsollowやtristeの系統ならば
喪失の苦しみのような印象がある

たとえば、自分にとって大切なAさんを失ったときの感情として、
まずAさんの立場になって、つらかっただろうという気持ち……(1)……これは同情、compassion
次にAさんを失った自分のつらい気持ち……(2)……sad、sollow、triste
次にこの情景を空の上から眺めているとして、
事の全体があわれであるという感情……(3)……無常観
この程度の区別はできるだろう。

2→1→3と発達するのだろう
まず母親などのお手本から自分の感情について知り、
ほぼ同時に相手の気持ちについて知り、
事の全体を眺めて感慨を抱くのは少しあとになるだろう。

この場合、
自分と相手の感情について知るのは、本当は難しいことで、
これがどこまでファインにできるかで、感情機能が違ってくる

また、感情機能は解像度が高ければ高いほどいいというものでもなく、
「周りと同じ程度」が一番居心地がいいだろうと思われる。
周りと同じ程度に鈍感であれば生き易いのだと
感じている人が多分、全人口の半分くらい存在しているはずだ。