まじめないい子

まじめで、いい子で、すべてをわきまえて、
それで結果もついてきて、
とまあそんな風に過ごしてきた人たちも、
どこまでもまじめが評価されて、突き進めるわけではない。
世の中は、上に行くほど、微妙で難しくなる。
努力が報われないこともある。

そんな時、報われないなら、
全部やめるとなれば、
オール・オア・ナッシングタイプになってしまう。
それはまずい。

本人がまじめで頑張るのはいいけれど、
それがそのまま認められるとは限らず、
自己評価と世間の評価が食い違うようになる。
いつか、必ず。

世間全般で言えば、
標準分布をしているはずで、
不真面目な人が半分になる。
そんな世間が下す評価は
あなたのことを本当によく分かっているはずはない

その時に、
世間のほうが悪いのだと思ってしまえば、
その後はいろいろと不具合になる。

努力が認められてほめられて生きてきたタイプの人は
プライドが高くなることが多くて
一種の精神的な貴族なのだけれど
その場合にその人が望むだけの幸福がついてこないこともある

実際のご褒美と、
精神的なご褒美は一致しないことも多い

実際、何が正しくて、
何が評価されるべきことで、
何が人を喜ばせることか、
ときと場所によってかなり異なる。

幼い頃に「まじめ」で「高いハードル」を超えてきた人たちは、
そのあとの人生も、まじめに、問題集の隅から隅まで勉強して、
乗り切ろうとする。
それがおおいに評価されることも多い。
しかしまた、それがあまり評価されないこともある。

評価されない時に、
逆恨みしてはいけない。
世間とは、そんな場所なのだと割り切って、
私なりにやることはやる、
それを世間がどう評価するかは、別のことで、
世間の評価がどうだからと言って、
憤りもしないし、
過剰に喜びもしない、
そのようでありたい。

そのとき世の中が必要としているDNAと
あなたのDNAは少しずれていても当たり前だ
時代に合わせすぎるのもおかしなものだ
偶然なのだと割り切ろう

評価してくれる人は、
純粋に評価しているのではなく、
なにか別の下心があるかもしれないし、
評価してくれなくても、
それは口にしないだけのことで、
とても評価してくれているのかも知れず、
あるいは、
人間同士の世の中は嫉妬の渦巻く社会なので、
評価している人には悪口を言うものだということも
覚えておけばいい。

美人は悪口を言われる
不美人のまつげを悪く言う人はない
美人のまつげは長くても言われるし短くても言われる
美人であることの税金だと思うしかない
美人で背が高ければ
百発百中でのっぽといわれ
美人で背が低ければ
ちびといわれる

仕方がないから
背が高い人は高いところの荷物を取ってあげればいいし
背の低い人は洞窟探検の時に先に行ってあげればいい
それだけのことだ

とくに現代日本の女性は
お勉強がとてもよくできても、
家庭を作るときにはなんだか複雑な事情が待ち受けている
そんな現状に対して
エキサイトして向かって行っても、
世の中ははるかに手ごわい

敵を知り己を知る
どうにもならないときこそ冷静になること