推理小説の宣伝文

推理小説の宣伝文は、
まことに申し訳ないような、
情報の少ないものにならざるを得ない。

ネタをばらしてはいけないし、
その上で、おもしろい小説である事を宣伝しなければいけないしで、
これは根本的に困難なことなのだ。

むしろ、哲学的考察の宣伝文の方が書きやすいというものだ。

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それでもなお、
推理小説の宣伝が成り立つのは、おかしなことだ。
つまりは内容なんかに関係なく、
いいぞ、おもしろいぞ、買え、というメッセージの型が出来ていて、
それを反復しているだけである。
朝日新聞も大半それで、
これに金を払っているのだから腹立たしいと見るか、
これで金が入って紙面が安くなっていて助かると見るか、
多分、おかげで紙面が下品になって、
最近でいう品格が失われているということだろう。

映画のコマーシャルもそうだ。
最近はますますひどいものになっている。
マスコミ有名人が2、3行の感想を連発している。
何を言っているかが本来の情報のはずだけれど、
誰が言っているかが、情報となっている。
言葉そのものは陳腐なものだ。