運動と老化

運動と老化はよく言われることだ

ストレス解消にも
老化防止にも
認知症予防にも
運動はいいといわれて
結果、関節を痛めたりする

消耗品だと思わないといけない
関節も人体そのものも

散歩していて転んで大腿骨骨折をして、
そのあと一気に認知症が進むということはよくある。
怪我をしないことが大切とも言える。

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年をとると筋肉量が減少する。
重いものを持ち上げられない。
第一、ヘルニアになる。
年をとると持久力が落ちる。
これは筋肉の事情もあるが、
心血管系の衰えでもある。

日常で経験する重いものとは何か。
第一が他人の身体。
だから、家族の介護をしていて、腰を痛める人が多い。
あとは本とか牛乳パックとか、そんなもの。
うちのブラウン管テレビは100キロある。

若い人でも絶対安静を続けていると
筋肉量も減少し心血管系も衰えるので、
年をとることではなくて、動かなくなることが関係しているのかと考えられる部分もある。
廃用性萎縮という。
だからリハビリが大切になる。

しかし、関節のように、消耗性の部分の事を考えると、
なるべく使わないで温存する方法も考えられる。
使い切らないうちに死んでしまっては仕方がないが、
無駄な運動をして消耗してしまうのも考え物だと思う。
適度な筋肉ストレス、つまり運動は筋肉量を持続させるのだが、
過度な運動は早い消耗をもたらす。

「過度」とはどの程度かといえば、
毎日、農作業を朝から晩まで、
その程度では消耗しないだろうということが分かっている。

プロ野球のピッチャーを毎日やっているのは明らかにだめ。
日本昔話の、桃太郎のおじいちゃんは山に出かけていたというし、
おばあちゃんは川で洗濯をしていたというから、
そんな風に暮らせば、老年期まで元気でいられるらしい。

単純に身体活動量を測定して、それが少なすぎれば、
将来のアルツハイマー危険因子であり、
現在のメタボリックシンドローム危険因子である。

スポーツマンは長生きしたくて運動をするのではなく、
好きだから運動をする。
スポーツマンでない人は、
運動に喜びがない。
だから続かない。
早く死んでも仕方がないとさえ思う。

だって、運動するために、ジムまで行って、シャワーを浴びたり、
いろいろな事をしているうちに時間をだいぶ費やしてしまう。
それよりは本を読んだ方がいい。
人生の正味の読書時間が大切なのだ。

年をとると筋肉が落ちることを
サルコペニアと呼ぶ。
50歳から80歳の30年間で30%低下する。
(その程度でいいじゃないかと思うが、老年医学者にとっては、問題らしい)

随意筋である骨格筋は、TypeⅠ繊維である、低出力で疲労耐性の高い成分と、
TypeⅡ繊維である、瞬発的かつ低疲労耐性の成分からなる。
(なんて分かりにくい。つまり、マラソン筋肉と、100メートル筋肉だ。)
老年化によって失われるのは、100メートル走の筋肉だという。

TypeⅡ繊維の選択的萎縮という。

トレーニングをすると、70歳から90歳までどの年齢でも、筋肉量が増す。
(しかし自然に減少していくのが自然だと思うが)

筋タンパク合成系はトレーニングにより若年者並みに回復する可能性があるといわれている。

運動すれば、高齢者でも筋肉が増える事を
サルコペニアはレジスタンス・トレーニングにより改善できるという。
(ルー語みたい。実際、学会ではルー語使いみたいな人もいる。)

持久力を考えると、酸素を運ぶ能力と、筋肉での酸素とりこみ能力が大切であり、
心臓、血管、肺、筋肉細胞ミトコンドリアの酸化能力などが関係している。
(おっと、ミトコンドリアだ。)

フルマラソントップランナーの記録は、
65歳で2時間56分33秒、
71歳で3時間19分45秒、
75歳で3時間42分26秒、
この記録は各年齢での最大酸素摂取を維持しつつ、乳酸をためずに走る能力といわれている。
(それにしても、すばらしい記録。秒まで書いてしまった。)

先日の新聞で、ハードル走の選手について、
乳酸を燃やしながら走っているのではないかとの新案が出されていた。
新説なのでどう評価していいかまだ分からないが、
乳酸閾値(LT)というものがあり、
これは、血中の乳酸濃度について、
軽い運動ならば、徐々に負荷をかけても、一定で、
ある負荷点を越えると、乳酸濃度は急増する、その閾値をLTと言って、
つまり、筋肉細胞の処理能力の限界を示していて、
乳酸がたまるということは、老廃物の蓄積であり、
一晩寝て、ゆっくり回復するしかないといわれていた。
それを走りつつ処理しているのではないか、
むしろ、走るエネルギーにしているのではないかとの説で、
画期的なのだ。
(もっと走れる!もっと走れ!)

エアロビクスでいう有酸素能力であるが、
高齢者でもやはりトレーニングによって改善している。
(当たり前なのだが、当たり前でよかったというところだ。
高齢者になったら、トレーニングしても、回復もしないとなったら、ぐれてしまう。
努力が報われる事を実証するのは、トリビアルだが、いいことなのだ。
でも、あまりにもつまらない報告であることも確かだ。)

トレーニングの際には、何が報酬であるかが、大きな要素である。
純粋にトレーニングが楽しくて、
トレーニングをしているうちに脳内快感物質が満ちる人もいる。
ランナーズ・ハイ。
あるいは、外部に具体的なご褒美を用意して、
快感物質を誘発するようにセットしてあげることも必要になる。
奴隷労働のようにトレーニングしても、いい結果は出ないだろう。
心理的動機付けが大切である。

若々しく活躍している人たちの脳内には、
快感報酬系がしっかりとあるのだろう。
あるいは外部報酬系の設定がうまいのだろう。
だれかが飴とムチのように
コントロールしているのかもしれない。