標準的な了解と理解の装置

了解のレンジは広すぎてもいけないし
狭すぎてもいけない
了解が診断機能を果たすとすれば、
広すぎても、狭すぎても、よくない

説明もまた
広すぎてもいけないし
狭すぎてもいけない

だから、治療者は、自分の内部に、
標準的な了解装置や
標準的な説明装置を作り上げる

「わたしが了解できること」
ではないのだ
「私の中にある標準的な了解装置が了解できること」
が了解できることなのである

そして個人的な感想はそれとは微妙にずれている
個人的な感想は診断にも治療にも用いない

診断と治療に用いるのは、
内部に新たに築かれた、了解装置と説明装置である