そもそもの始まりの話

このブログですが、そもそもの始まりとしては何か動機があったんですか?

いえ、特には。
備忘録みたいに、いろんな事を書きとめておいてプールしておけば、あとで何かの役に立つんじゃないかと思って。

いろんな人にネタを提供してもらって?

はい。見落としている新聞のネタとかも、結構知恵になるんですよ。
我々の仕事って知識とも論理ともつかなくて、知恵の集まりみたいなものでしょう。

結局書き直しちゃうんですよね?

いや、それはね、すまないと思っている。
直し始めると止まらなくて。
でもだからその人は責任もなくなるわけです。

ATOKじゃないですよね?
なんだか癖のある変換だし。固い漢字が多いな。

そうなんだ。まだ入れてなくて。前のとこに置いてきちゃったし、毎年新版が出るから買いそびれてる。

それはいいんですけど、まれにね、まれにですけどね、あの記事で説明しようかなあって思う話とか図とかあるんですよ、でも、探せないんです、もう。検索にも引っかからないし。検索語彙を固定するとか、ジャンルわけをしてもらうとか、親切な目次をつけるとか、たまには使えるのもあるんですから、整理整頓すればいいのでは?

そうなんです、そう言ってくれる人を待っていました。やってください。

でも、どんどん関係ない話ばっかりになって。どうしてカエラちゃんなんですか?それも、昔の。

ああ、それね。
あの中で、表参道で飲んでいて、みんなで歩いて渋谷に行こうっていう話があるんですよ。
それで、仕方ないから歩いて行って、もう吐きそうになってるんで、
なんだよー、まだ青学かよー、なんていってるわけ、さっさと歩けばそんなでもないのにね。
で、挙句の果ては、渋谷で迷って、ぐるぐる歩くわけ、
飲んで吐きそうになってしかも渋谷だから迷うよなあって、
それはとっても分かるんだ。
おんなじカレー屋とかラーメン屋とかが出てきてがっかりしたりするじゃないですか。

それでね、ぶらぶら歩いて渋谷まで行っちゃおうっていう若者の気分も分かるわけ。
私もね、渋谷でね、なんとなくぐるぐるしちゃうの、変だけど。
だから、とっても、捨てて置けなくて、収録。

はあ、公正中立な誰かに編集を任せて、くっきり整理したらどうなんですか?

ぜひそうして。
挿絵も付けてくれるとなおいいな。

いまブログを製本してくれるじゃないですか。整理して、役に立ちそうなところだけを製本したらいいのに?

ぜひ、やってください。そういう生産的なことが全然できないんです。散らかる一方で。

何度も同じことも書いてませんか?

そうなんです。それも整理してください。

署名入りの記事にしたらいいのでは?

そんなの面倒で誰も書きません。
私に書きなおさせたいというのもあるんじゃないでしょうか。

それで関係のない話が二つくらいくっついていたりする?

そうです。偶然。

まだ続けるんですか?

もう疲れているんです。やめたいんですが、なんとなく続けてしまうんですよ。最初は100までと思ったんです。それが案外続いて、500までくらい行って、満足感があったんです。まだ続けていたら1000を超えて、ますます満足して。

単に数にでしょう?

そんなにきつくいわなくても。

そろそろ5000ですよ。区切りにして、整理整頓すればどうですか?

向かないんですよ。私に。一体、どうやって整理したらいいんですか?下書きファイルも入れると5000をとっくに超えているんです。

捨てればいいんですよ。スパッと。
それで、やっぱり始めるに当たっては、なにかきっかけがあったのでは?

なんでそうカウンセラーみたいに根掘り葉掘り聞くかなあ。ブログくらい書くじゃないですか。

時間は大切じゃないの?

大切ですよ。だから書くんです。時間を記録しておきたいんですよ。

それだったら、「だれだれさんの個人的絵日記」くらいにしておけば、紛らわしくなくていいと思います。何か思わせぶりなことで書き始めて何も結論がない。だから、知恵のある編集者を置くべきですよ。もっと本業に専念してください。

そうね、分かります。正論です。そもそもね、なんだったんでしょうね。
そうやって何度も念を押して聞かれると、何かきっかけがあったような気がしてくるから不思議なものですよ。だってね、こうして続けているんだから、何か理由があるんだろうと、思いたくなりますよね、うんうん、理由のない情熱もないでしょうし。
さあ、そもそも、ね。

ところで、so-netは使いにくくないですか?はてなの方がいいような話が多いですけど。

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結局話は通じていない。