御褒美は金メダル

何年もかけてほとんどすべてを犠牲にして
世の中の事を勉強する機会も失い
和歌も詠まず
そのようにして
金メダルを取るのだけれど、
そんなものが欲しいかといえば、
どうでもいいような気もする。

昔話で言えば、
王女様を与えられて自分は王様になるというタイプと、
金銀財宝を与えられてお金持ちになるというタイプがあるようだ。
どちらの場合もそこから好き勝手なことができるという点では
道が開けるということになる。

金メダリストになって道が開けるだろうか。
この先ずっと、このスポーツバカの連中と付き合っていくのかと思うと、
憂うつにならないのだろうか。

実際の金メダルを質屋に持って行ってもどうにもならないだろうから、
金メダリストであることの生涯収入の増加はどれくらいかということになる。

金メダリストになればいいお嫁さんになれるだろうか。

国家が報奨金を出しているところもある。
金メダリストは将来にわたって年金を受け取るとか。
あるいは、スポーツ指導者としての地位を確保することになれば、実質年金と同じである。

後輩に気合を入れているだけでいい。

産業がない国ではオリンピックは一大産業である。
マスコミとテレビが発達している国では、
底辺から這い上がる方法である。

底辺にいる人以外は、自分のスポーツの楽しみをテレビで放送されたくないだろう。
特に負ける場面を流されるのはいやなものだろう。
リアルタイムで流されたたりするのは
多分いやなものだろうと思う。

それが仕事だと思っているなら、ならそれでいいけれど。
自分の趣味についてテレビの解説席で何か勝手に言われているとしたら
いやなもんだろうとおもう。

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たとえば、金メダルという抽象的なものではなくて、
具体的なもの、たとえば、ビンテージものの時計とか、
美女とか、何かしらそうしたもので、人によって価値判断が相当異なるとしたらどうかと考えてみる。
商品によっては、すごく頑張るし、
また別の場合には、全然やる気がない。

ご褒美によっては、
これまで一度も柔道をやったことがない人も
本気になるかもしれない。

金メダルだとみんな一応やる気があるというのは、
それだけ普遍的な価値があるということになるのだが、
それでも、モチベーションのレベルには、国とか個人によってかなりの差がある。

いや、そうではなくて、金メダルだとやる気になる人だけが
いま北京に集まっているだけで、
そうでない人は北京に行っていないということなのだ。