オリンピックの成績から学ぶこと

オリンピックの結果報道に接して思うのだが、
オリンピックでいい成績を収めている人たちは、
「偶然才能があって」「自分でこつこつと頑張って」
メダルに到達するのではないようだ。

国家がメダル獲得を目標に掲げ、
幼い才能を発掘し、国家的育成システムにのせ、
そのようにして各国が競い、
ぎりぎりのところで順位が決定している、
そんな感じだと思う。

日本で代表的なのは、
フィギュアスケートの世界である。
発掘と育成のシステムが出来上がっている。

モスクワオリンピックで日本がボイコットをして、
そのあと選手育成が滞り、
態勢を立て直すまでにしばらく時間がかかった話は聞いている。

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スポーツの世界でこうなのだから、
学術の世界、軍事の世界、実業の世界で、
もっと熾烈でせこい戦いが繰り広げられているだろうことは
当然考えられる。

スポーツの世界は、煎じ詰めれば筋肉の力と運動神経の問題であって、
戦略という大脳前頭葉の仕事は決定的ではない。

学術、軍事、実業になれば、
まさしく大脳前頭葉の仕事であって、
そこではかなり高等とも卑劣ともいえる戦略がうごめいていることは予想できる。

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スポーツの世界以外でも、
国家戦略として、才能の選抜と育成のシステムを作り上げなければ、
五輪のメダルなんかよりも達成したい目標がはっきりとある国に
圧倒的に負けるだろう。
才能があっても予算がつかないならじっと待っているしかないのだ、
短歌でも読んで。
その無駄といったら莫大である。
短歌の世界にとってはいいことだけれど、
実際、日本の才能が短歌に消費されることでほっとしている大国はたくさんあるのだ。

日本の人が、日本の後輩に負けることと、
ロシアのライバルに負けることと、
どちらが悔しいだろう。
きちんと大人の判断として、日本の後輩を助けて、
中国のライバルを倒す戦略に賛成して欲しいものだと思う。

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少子化でますます才能が頭打ちになる。
困ったことだ。

科学技術分野でどれだけ
先んじることができるかと考えれば、
米国の内的蓄積にはかなわないので、
しばらくは米国留学のトレンドが続くだろう。
中国やインドの留学生も、優秀クラスは米国に、次のクラスの一部がユーロと日本にといった具合で、
とうぶんかなわないだろう。

お金になる芸術として映画があるが
ソニーは映画会社を持っているだけで、
日本の芸術を振興しているわけではない。
ここでも米国の内的蓄積が分厚い。

軍事に関しては9条憲法があるので難しい。
こっそりやってはいるらしいが、檜舞台に踊り出ることは出来ないだろう。

思想文学については
日本語の壁が大きい。
日本語の使用者は今後どんどん減少していくだろう。
マーケットとしても縮小し続けるはずで、
これもなかなか難しい見通しになる。
むしろ英語での表現者になったほうがいいのだけれど、
「日本的感性」くらいしか売り物に出来ない現状では、困難だろう。

実業家にしても学者にしても、
まともな人が米国でステイタスを得るということは少ない。
様子を見ていると日本人離れしたマニーの人たちで、
あれあれと思ってしまうこともある。
躁状態くらいでないとアメリカで活躍しようとは思わないし、
一時的に思ったとしても、思い続けることはできないのが現実だろう。

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今後日本はユーロにおけるギリシャのような立場にたつことを目標とするとして、
とにかく、才能の選抜と育成のシステムをもっと真剣に考えた方がいい。
嫉妬のシステムに縛られるのもいい加減にして、
もっと実質的に大切な果実を手にしようではないか。

親の学歴と年収が
子供の将来を大きく決定してしまうような社会では
未来がないのだ。

国際的に活躍する人物というものの
実質が躁病者であるというのでは
がっかりである。

いつまでたっても日本人が国際的に尊敬されないことになる。