うつ病の本をめぐって

こんな文章があったので採録。

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第2版の序

 大変うれしいことに,1998年に出版した本書第1版は非常なご好評をいただき,第3刷を重ねることになった。内科医にとってうつ病診療の知識が必要であることは論を俟たないが,それではどう勉強したらよいのかとなると,適切なテキストに乏しいと言わざるをえない状況があった。つまり,精神医学の専門書では難解に過ぎ,かといって一般向け啓発書では水準が低すぎる。いわばちょうど隙間に落ちたような形であって,それが内科医のうつ病診療への取り掛かりを悪くしている一要因ではないか。このような問題意識のもとに本書を執筆したが,売り上げ数だけから見ても,この初版本のねらいは成功したものと理解している。しかし,初版以来ほぼ10年を経た今日までに,うつ病を巡るわが国の状況は大きく変化していることを考えれば,それに合わせて本書も大改訂することが必要ではないかと思うようになった。こうしてできたのがこの第2版である。
 「うつ病を巡る状況は大きく変化した」と今述べたが,それを箇条書きにしてまとめてみると,次のようになろう。
(1)奇しくも本書第1版を上梓した1998年(平成10年)から,わが国では自殺既遂者が一挙に増え,以来年間3万人を超えたままで高止まりしており,今や日本は世界にも冠たる「自殺大国」の汚名を着せられるに至っている。もちろん自殺原因のすべてがうつ病ではないが,多くの部分(5割近くとも言われる)の背景にうつ病が存在すると考えられている(非常に皮肉な言い方をすれば,その意味からは本書初版の出版は実に時宜を得ていたことにもなる)。
(2)これを受けて厚生労働省では2006年から「自殺関連うつ対策戦略研究」を開始,2007年には自殺総合対策大綱を策定するなど,次々手を打ち始め,その中心にうつ病医療対策を据えている。そのなかにはプライマリケア医のうつ病診療力を高める研修などの施策が含まれている。
(3)2004年には日本うつ病学会が発足し,精神科医,内科医,プライマリケア医,産業医,臨床心理職,看護師,保健師,うつ病の神経科学や抗うつ薬の創薬に関わる研究者などが一堂に会して,うつ病医療について考え,研修をする場ができた。市民公開講座も行われている(2007年度から筆者が日本うつ病学会の理事長を務めている)。
(4)一般社会でのうつ病への関心が高まり,多くのマスコミで特集番組・特集記事が取り上げられるようになった。これに合わせて,日本でもうつ病の自助団体,支援団体の活動が徐々に始まろうとしている。
(5)うつ病診断を巡る国際標準化がさらに進み,古典的な精神病理学に基づくうつ病の概念は第一線現場の診断法としては後退し,あらかじめ定めた定義に合致するかしないかにより診断を行う演繹的な診断法が広く用いられるようになった。その一方で,うつ病の下位分類に関する関心がますます議論を呼び,双極II型うつ病や非定型うつ病などが注目されている。
(6)世界の主流となっている抗うつ薬,SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が1999年から日本に登場し,2007年時点で処方量としてはSSRIが全抗うつ薬で第1位となっている。最新の抗うつ薬SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)も使用されるようになり,それに続いてさらに多くの新薬が日本でも登場する兆しがある。一方で,欠点の少ない薬と言われたSSRIの問題点も少しずつ指摘されるようになっている。
(7)新たな抗うつ薬の導入にもかかわらず,治りにくい,所謂「難治性うつ病」の存在が問題視され,それに対する対策の研究が盛んになっている。
(8)脳内セロトニンが少ないのがうつ病だ,と単純に考えられていたうつ病の神経科学的研究が進み,細胞新生,細胞死がうつ病の病態と大きく関係するという考え方が主流になってきた。
 そして,これらの動きは相互に関連し合って,うつ病を巡る動きを活発なものにしている。この雰囲気や最新の情報を,内科医をはじめとしたプライマリケアに関わる臨床医にも伝える必要がある。第2版においては,そのことを心がけた。その結果,全体としてかなりの大改訂となり,3割以上を新たに書き改めることとなった。ただし,うつ病診療の最大のポイントは「うつ病の概念を理解することである」という姿勢は初版から貫き,難しい専門的な論議や解釈を避け,非専門医にとっての分かりやすさ,実用性を第一義の目的としていることは本書の方針としてまったく変えてはいない。本書がうつ病に関わるすべての医師の日常診療に役立ち,自殺者の減少にいささかなりとも寄与することができれば,それに勝る喜びはない。

 2008年4月

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目 次

第I章 うつ病とは

第II章 うつ病をどう診断するか――症状論と診断
 A. うつ病の臨床類型
 B. うつ病の症状
 C. うつ病の行動上の特徴
 D. 診断のポイント
 E. 内科臨床とうつ病をめぐる諸点

第III章 うつ病者とどう接し,どう治療を始めるか

第IV章 抗うつ薬による治療
 A. 抗うつ薬とはどんな薬か
 B. 抗うつ薬の分類
 C. 抗うつ薬の神経化学的作用
 D. 抗うつ薬の臨床効果(うつ病以外への効果も含む)
 E. 各抗うつ薬のプロフィール
 F. 抗うつ薬治療の実際

第V章 うつ病の症例
 A. 実存的な悩みで来院した単極性うつ病の症例
 B. 身体愁訴が主体のいわゆる仮面うつ病
 C. 老年うつ病による仮性認知症の症例

第VI章 うつ病にかからないためのアドバイス――予防論
 A. うつ病予防の意味
 B. うつ病にかかりやすい考え方の歪み
 C. うつ病を防ぐ日常の心構え

第VII章 精神科医との連携
 A. 内科医がうつ病を診るために必要な前提
 B. うつ病診療の技術をどこまで身につけるべきか
 C. 内科医の限界と精神科医への紹介のポイント

第VIII章 余録――うつ病の病因論
 A. うつ病の病因論の現況
 B. 遺伝と環境
 C. 徹底性の遺伝子
 D. 徹底性の本態は何か
 E. 病前性格はどう形成されるか
 F. うつ病の発病
 G. モノアミン系の異常との関係
 H. 演繹的仮説と今後の課題

索引