ネット社会の惨事の密度と慰めの密度

ネット社会になって変ったことといえば
第一は世界中の惨事が毎日のように目に見えるようになったことだ
ネット社会といわず
高度情報化社会と言っていいのかもしれない
世界中のいろいろなテレビ局がいいことも悪いことも流していて、
いいことはあまり多くならず
常にどこかで人命が失われ
取り返しのつかない惨劇が起こっているように思えてくる

半面で
心を癒してくれるような情報の密度が高まったかといえば
決してそうではなく、
惨事の報道に時間をとられて、
心を癒す時間そのものが少なくなってきているように
感じられる。

また、女性には不愉快なことだろうが、
現実としていえば、
性的な関係の露出度は飛躍的に高くなっていると考えられる。
この点が人のこころをどう変えているのか、
検討が必要である。

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ニュースで惨事が伝えられ、
ゲームマシンで人殺しアクションゲームをさんざんやって、
こころがおかしくなるはずだという意見もある。
しかし大多数の人のこころはおかしくなってはいないので
それは言い過ぎなのだろうと思う。
ゲームはゲーム、現実は現実である。

そうはいいながら、
惨事が毎日のように報道されて、
世界観を感覚する神経はだんだん麻痺してきているようでもある。