性愛の幻想の性差

性愛についての幻想について言えば
個人差も大きいが性差も大きいのではないかと思われる

生物学的構造から言って
能動側と受動側に分かれてしまうのも
やむをえないような気がする

男性の側の幻想が
物事をリードすると考えて、
長い年月の配偶者選択の後には
男性側の幻想と現実が一致するに至るだろうと推定できるのだが
現実にはそのようにはなっていないと思われる
それが不思議だ

たとえば
源氏物語で描かれる人物像は
男性の理想なのか女性の理想なのか
考証すれば面白いかもしれない

スーパー貴公子の物語だから男性側に都合のいい要素も多いのだろうが
その都合のよさに乗る形で男性をひきつけるための女性用の教科書だとすれば
事態は複雑である

男性が男性のために発達させた幻想と
女性が女性のために発達させた幻想が
決して一致すめことはなく
しかし優雅に交差しているのである
その微妙なこと

心理的次元でも生物学的構造の次元でも
いえることである

たとえば母と赤ん坊の関係で言えば
母親の乳首が形成されることと
赤ん坊の唇が形成されることは
お互いに必要な偶然であり
したがって必然的なことであった

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現実の性の幻想として
痴漢する側とされる側という
非対称な関係がある

また精神的ダメージを受けることで言っても
性的PTSDで長く苦しむのはどちらかという問題もある

そうした表面的な次元を
もう一皮めくってみれば
男性側も結局は母という女性に抑圧され支配されているという現実があり
絡み合って
勝敗はつけがたい