脳をコンピュータにたとえる

脳をコンピュータにたとえることが多い

昔々は脳を電話交換機にたとえていた

脳はスタンドアローンの存在ではない
必ず他の脳とつながっている

つながっている中で
文化と言語といういわばOSがインストールされる

言語はOSなのかコンテンツなのかという問題はあるが両方である

昔はネットワークの範囲は物理的に移動できる距離内であった
乗り物がなければ歩ける距離

乗り物ができてからはかなり行動半径が広がった

しかし手紙が発達して電話ができてさらにはインターネット技術が発達して
脳がつながる相手は飛躍的に増えた。
ほとんど処理しきれない位に増えてしまった。

コンピュータがこんなにも広く使われる前は
出版物が主に脳と脳をつなぐ回路だった

その場合言葉というものが決定的に重要で
脳よりも言葉がむしろ主役ではないかとも見えた

つまり個々の脳ではなくて
日本語というものが主体であり一貫性を持って行き延びる実体と見えた

個々の脳は一時的に日本語を取り込んで
活動して日本語を耕し豊かにする
そのようなものと見えた

世界で言えば「文化の総体」であり、
ポパーの言う三世界の理論である。

しかし現代のようになってくると
図書館に文化はあるのではなくて
人々のネットワークの中自体に存在すると思われる
図書館にはその住所が記録されているだけのようだ

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私などは長年
個人と文化の相互進化を考えてきたタイプなので
最近のように文化というタームが無力化する事態はあまり考えていなかった

それでそのあとはあまり考えていない

脳という物質系と
主観的意識経験という心理的事象と
文化の総体という蓄積物と
この三者が相互に関連しつつお互いに進化を続けるというのが
骨格なのであるが
インターネットをこの中の「文化の総体」の中に位置づけていいものか
インターネット技術が進化しつつあり変化しつつある現在は難しい