自己愛の「自分だけは特別」心理

自己愛の誇大性の成分として、
「自分だけは特別」という心理がある。

誰か他人が自分だけは特別というのを聞けば
考えの未熟な人だと感じるものだが
誰でも心の中には自分だけは特別という考えがあるはずで
たとえば宗教ではそのあたりを利用することがある

イエス・キリストと自分とが聖書のみを介して直接、向き合うという立場がある。
教会は介在しない。

実際をいえば、イエス・キリストもそこまで暇ではないだろうから、
全部の人にそれぞれに相談に乗るわけにもしかないと思うが、
ということは、その人が自分で作り出したイエス・キリストと話し合っているに違いなく、
これこそは自分王国であり自分宗教であり、
イエス・キリストもまた都合のいい姿で現れているに違いないのだ。
間違っていても訂正の機会もない。

宗教や超越者を感じられなくて
現実のこの自分が一番価値のあるのもだとしか考えられないのも困りものだが
宗教が便宜的に用意した特別扱いだけを当てにしているのも
困りものである

そのような意味では、
やはり教会というものがあって、自分はその信徒の中の一人に過ぎないという
謙遜が維持された方が健全であるような気がする。

このことに限らず、宗教は自分は特別であるという心理をくすぐる装置に満ちている。
災害があっても自分たちだけは助かるとか、
自分たちだけは天国に行けるとか、
特別待遇の空約束がたくさん書かれている。

霊魂は不滅とか
あるいは輪廻するとか。
本当は地獄に行くところだけれど
お念仏を唱えれば極楽にとか
それはあまりにも都合がよすぎるだろうと思わないのだろうか。