見たまま聞いたままにとらえることの困難

最近思うのだが
人々はものを見たままに経験していないようなのだ
聞いたことを聞いたままには経験していないようなのだ

だから絵を見てもつまらないのだろうし
景色を見ても感動しないし
言葉は誤解が多くあり
誤解の大半は被害的な言葉になる

壁のシミが人間の顔になり
エアコンのうなりが自分への悪口になる

理解の不足、誤解、邪推、そして推定はたいてい被害的な内容になるようだ、
これも不思議であるが