パニック体験談の一例

日経ビジネスオンラインで藤岡 清美さんの文章。

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それは、突然襲ってきた―。

 まるでサスペンスドラマの出だしのようですが、一言で言えばこんな感じでしょうか。

 「最初の」パニック発作の恐ろしいところは、突然やってくる、ということです。しかも一番やってきてほしくない時に。多くのパニック発作は、そう立て続けに起こるものではないと思うのですが、一度経験してしまうと、次にいつ起こるか分からないという漠然とした不安にとらわれるのです。これを「予期不安」と言い、それらが心身や日常生活に支障を来す状態を「パニック障害」と言います。

 私のパニック障害の歴史を仮に6年間とすると、2190日分の中で、「発作が出るのでは」というたった1日の「予期不安」というトラウマのために、2189日を費やしてきたという計算になります。どこをどう考えても、起きるよりは起きない確率の方が圧倒的に高いのです。なにしろ発作自体は数分で治まるので、例えば喘息のような慢性的な発作をお持ちの方からすれば「そんなのは、病気のうちに入らない」と言われてしまうかもしれません。

「次にいつ発作が起きるか」に悩まされる

 発作よりもむしろ厄介なのは、予期不安です。これはもうノストラダムスの大予言のようなもので、「それはやってくる、必ずやってくる、そしてそれはとても大変なものだ!」という恐怖感が心のどこかを支配し、それを怖がっているのか、あるいは怖いもの見たさで期待しているのかさえ分からない…。しかもその不安が、新たな発作や鬱(うつ)のような状態を生み出すこともあるなど、本当にたちの悪い障害なのです。

 私が自覚したパニック発作は、6年前に遡ります。今考えると本当に間抜けな話なのですが、この話抜きに私のパニック障害は語れませんので、少しおつき合いください。

 その日私は休みを取り、母と、3歳になる姪と3人で九州温泉旅行の最中でした。高速道路を2時間ほど、休息も取らず最高速度で飛ばしていました。負けん気が強い性分なので、レーンチェンジを小刻みにしながら先行車を何台も追い抜き、その最中にも母と姪を飽きさせないよう会話をしたり、童謡を歌ったりしていました。しかし頭の中は「あと1時間くらいで湯布院に着きたい!」「あの車を追い抜きたい!」などという“邪念”でいっぱいでした。

 私は片目の視力が極端に悪いのですが、日常生活に支障はなかったので、その日も眼鏡などをかけずに車を運転していたのですが、立体的な距離感がつかめず、運転は極度の緊張感を伴っていました。自分でもおかしいのですが、賞金をもらえるわけでもないのに、どんなF1レーサーよりも緊張して運転していたと思います。

 私の車の隣を、女性が運転している軽自動車が走っていました。その車が「すいっ」と私の車を追い越したので、私は半ばムキになってその車を追い越しました。すると、車はちょうど丘陵のてっぺんにさしかかり、眼下にはなだらかな緑の裾野が広がっていました。そして、私たちの車が走っている道が遥か遠くまで続いているのが見えました。

突然激しい動悸に襲われ、手が震え出した

 「この緊張感が、最低でもあの道の彼方まで続いているのか!」と思った、その時でした。急に空間の感覚が麻痺し、のどから心臓が飛び出すかと思うくらい激しい動悸が襲ってきました。また、なぜだか今でも説明がつかないのですが、ハンドルをむやみやたらに切ってしまいたい、またはドアを開けて今すぐここから飛び出したい、という気分になったのです。

 ハンドルを握る手はぶるぶると震え出し、冷たい汗が滲み出ました。私は母に気づかれないよう平静を装いつつも、あるだけの理性を使って、高速道路の一番端まで車を移動させ、停止しました。

 停止するにも勇気が必要でした。いったいこれまでブンブン車を飛ばしていた私が、なぜいきなり停止するのか。しかも高速道路で。「緊急事態発生」と思われたくないよう、私は震える声を抑えつつ、「ずっと運転してたら気分が悪くなって…」などと言うのがせいいっぱいでした。

 とにかくこの気持ちを治めるため、咳払いをしたり、「いやあ、疲れたー」と疲れをアピールしてみたりしたのですが、どうもこれ以上運転するのは危険だと感じました。そこで意を決し、「ちょっとパニックになってしまった」と母に告白し、何も言わずに次の高速出口まで運転してもらうことにしました。母はその頃免許を取ったばかりだったので、ハザードランプを点滅させ、ゆっくりと出口まで運転してもらいました。

 自分がパニックになった恐ろしさも相当なものだったのですが、それよりもさらに恐ろしかったのが、私の大切な家族を大事故の巻き添えにしたかもしれない、という恐怖感でした。それは凍りつくような光景のシミュレーションになって、何度も何度も私の頭の中を駆け巡りました。

 ふと、ある言葉が頭をよぎりました。「アイ・シンク・ユー・ハッド『パニック・アタック』」(おそらく「パニック発作」でしょう)。

 これはこの日からさらに2年前、ニューヨークで勤めていた頃、ある医者に言われた言葉でした。

 当時、私はその仕事に就いて2年目で、仕事が面白くて仕方がない毎日を過ごしていました。ある日、私は上司からとてもエキサイティングな企画の依頼を受けました。やる気満々で受けたのですが、気持ちがやけに先行し、企画は遅々として進みませんでした。期限は近づいてくるのに焦るばかりで、何らアウトプットは出てきませんでした。

 眠ろうと思っても、なかなか眠れない日が2日ほど続きました。夜更けに胸苦しさが治まらず、気持ちを鎮めるためにシャワーを浴びた、その時です。

 心臓が突然バクバクと高鳴り、私の体はわなわなと震えて崩れ落ちました。そして、ものの数分間なのですが、無性に何か叫びたい、いっそ4階のアパートの窓を割って飛び降りてしまいたいというような、これまで感じたことのない気分に陥ったのです。

 翌日、早速私は総合病院に行き、様々な検査に加え、心臓の機能を調べるための機械を1日中体に装着しました。しかしその結果は「異常なし」でした。「おかしい、そんなはずはない」と反論した時、医者から先ほどの言葉を言われたのです。

 「アイ・シンク・ユー・ハッド『パニック・アタック』」。

 医者は私に、「この状態を打開するためには、どうすれば良いと思いますか」と尋ねました。私はその時点では「ストレスが何か悪さをしたのだろう」ということに気づいていたので、「ストレスをためない、
適度な運動をする、といったことですかね」と答えると、「あなたに治療は必要ないでしょう」と握手をされ、診療室から出されました。

 その時私は軽く受け流し、「何か発作の原因があったのだな。でも治療は必要ないらしい」と思って、何の対策も講じなかったのです。その後も全くケロッとしていましたし、企画も、上司に迷惑をかけつつも最終的には終わらせることができました。

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 「…つまりこれも、パニック・アタックなのではないか?」。2年前の経験とその日の経験は、あたかも指紋が重なり合うように合致しました。

 温泉旅行から一般道路だけを運転して帰った私は、早速インターネットで「パニック・アタック」を手がかりに検索しました。「パニック発作」「パニック障害」…。出るは出るは、といった具合に情報が出てきました。中身を読むと、「全くその通り」といった内容です。

 突然、呼吸困難や心臓発作のような症状が起こる。「自分はこのままおかしくなってしまうのではないか」という恐怖に襲われる。…

 情報というのは、時に酷なものです。英語のフレーズに、「猫の命取り(直訳すると、『好奇心が猫を殺した』)」というものがありますが、よく言ったものだと思います。インターネットで検索し、見つかった記事を読めば読むほど、パニック障害とは恐ろしいものだという情報ばかりが、頭の中にインプットされていきました。私はパニック障害に襲われる前に、情報に襲われたのだと思います。