かぎりなく偉大なもの

人間はかぎりなく偉大なもののまえに
つねにひざまずかなければならない。
ここに人間生活の法則のすべてがあるのです。
『悪霊』

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限りなく偉大なものを渇望するのは人間の本性である。
理性がなくなればたぶん抑制はきかない。

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父のいない現代日本社会は
世界でも例外的に「限りなく偉大なもの」を曖昧にしてきた。

これほどまで父親も母親的に振る舞うのはなぜなのか、
不思議である。

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無論、神は、父の外延であり、外挿である。
父がないのだから神もない。

女神はあるがいつまでもへその緒でつながったままである。

自己愛の理由はあるが、過剰なほどにあるが、
アイデンティティの理由がない、見事に全くない。

先日まであったのは軍国日本であった。
その時代によく適応して大人として振る舞ったアイデンティティ型人間は、
敗戦に際して、一体どのようにしてアイデンティティの転換ができたのだろう。
それが不思議だ。

殉じる何ものもなく、
ただ自己愛だけがあり、
都合が変わればアイデンティティも変えてしまう。
そのような人たちであったのかと想像する。

そしてそれでいいのだと肯定する。
したがって私は現状も肯定する。
惨めな自分が一番大切な惨めな自分でいい。
いつまでも自己愛に拘泥していていい。

自己を超えるアイデンティティなどと言い出していいことはない。

神国日本もかなりだったが、
キリスト教の歴史もかなりのものだ。
十字軍も魔女狩りも無限の血を流した。
限りなく偉大なものゆえにである。