幸せの絶対値

幸せと名付けているものは絶対値ではないのだと思い
ばからしくなる

他人と比べているのは間違いない

人と同じくらい幸せならば
その幸せをかみしめることも少ない

人と同じくらい不幸ならば
あまり不幸とも思わない

統計学のように分布を調べてみて
喜びを感じたりしているようで
それ自体はつまらないものだ

貴族の集会でも惨めな思いはあるし
無産者の集まりでも誇らしい思いはあるのだと思うと
そんなものに実質はない

親がいるのが当たり前なら
ありがたみは感じない

親がいないのが当たり前なら
皆同じだと思って特に不自由も感じない

いろんな親がいるから
いろんな程度の幸福がある

孤児であったならそれはそれでつらいものだが
それでも生んでくれた母もどこかにいるのだろうし
遺伝的な父もどこかにいるのだろう

幸福を感じる脳の回路は感覚性のものだから
変化を感じ取っているだけで
絶対値はない

温度を感じるときに皮膚は変化を感じているだけだ
南の島から北極まで考えるとして
どこが一番いいとも言えない

それだけのものかと思うとつらい

むしろキリスト教のように絶対値を決めてくれるものが欲しくなる

しかし一度このように考えてしまうと
決めてもらっているのだという気がして
なかなか難しい